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◇続く神話/王国
今この世界には、彼ら二人が築き上げた二つの国があります。
一つは、コラトリオ。享楽の王・イフトエノが築き上げた、西の国。
一つは、ルオコール。静謐の女王・シヴィアスが築き上げた、東の国。
そして、彼ら二人は今もなお、その国の王として治め続けています。争いも、戦争も無く、とても平和な国の、王として。
第四節 ソコに在るモノ/魔王
「女王も、殺すつもりか?」
こちらへ歩み寄りながら、問うて来る。その手には、すでに銀細工が一つ握られていた。
リクセは答えない。もはや答える必要も無いだろうと、彼もまたポーチから銀細工―――ギドが持っていた、ガスの宝石を取り出した。
「そうか……」
それを見て、シャスティはゆっくりと、落胆したように首を振った。
「なら、戦うしかないな」
静かに、シャスティが異形の山猫を召喚した。
それに応えるように、リクセも宝石を開放する。
「焔尾」
目に見え無い、可燃性の気体。だが、不明瞭ではあったが、今はその存在が辺りに感じられた。
自在には操れないだろう。だが、牽制ぐらいには使える。今もまだ、空を覆う雷雲と組み合わせれば、十分な武器になるはずだ。
「行け、レニアス!」
山猫が駆け出す。
(速い!?)
山猫のバネのような肢体は、唯の一足でトップスピードまで加速していた。
不慣れな雷では捕らえられない。コランは負傷していて戦えない。なら、
「土繰り!」
召喚された歪な土壁が、山猫の前に立ち塞がる。
構わず山猫は飛び掛り、それを苦も無く乗り越えた。だがそれでも、スピードは殺される。そして、一度飛んでしまえば着地点は変えようが無い。
苦難しながらも、放物線を描く山猫のその先に、ガスを集める。そして、雷雲に意志を通す。
雷はいらない。そんな巨大なものは、まだ正確に扱えない。小さな力でいい。
僅かばかしの、火花を起こせるだけの電流。その通りをイメージする。大地との接点。雷雲から伸びる軌跡。たどり着く工程。
「茨よ!」
―――鳴れ! そう叫ぼうとした寸前、シャスティの声が覆いかぶさった。
突如地面から伸びた植物の蔦が山猫の身体に巻きつき、その軌道を無理やり変える。
「ッ―――鳴れ!」
一瞬遅れて火花がなり、炎が膨れ上がる。だがその炎の中に、山猫の姿は無かった。
山猫は体勢を崩しながらも、しなやかな身体を捻って地面に着地する。そして間を置かず、さらにこちらに疾駆した。
「くっ……落ちろぉ!」
他にどうしようもなく、雷を落とす。一か八かの賭けであったが、運良く雷は、リクセと山猫の間に落ちた。
これには、流石の山猫もたたらを踏む。その間に、リクセは弓を解放しながら東―――森へと駆け出した。
あの山猫のスピードと瞬発力には、現状のクリーチャーでは対処しきれない。コランが無事ならば話は別だったのだろうが。とにかく、あのスピードを少しでも殺せる場所に移動しなければならなかった。
追いかけてくる山猫に、炎を撒き散らしながら牽制する。牽制にしかならない。気体を操る力が、速さが、とても間に合わなかった。
「手強い、な……」
走りながら、苦々しく呟く。
山猫もそうだが、シャスティもだ。あの洞察力と、一瞬の判断力は並じゃない。対して、自分には圧倒的に経験が足りなかった。
「さて、どうする?」
どうするべきか。弱点ならば、ある。
相手は怪我をしているはずだ。右足をロクに動かせないはずだ。それは、この目で見たのだから確実。先ほども、シャスティ自身はほとんど動いていない。こちらを追って走る速度も、小走り程度のものだった。山猫は確かに速いが、彼から遠く離して追撃させるような愚行はしないだろう。
森まで逃げ延びるのは、そう難しくは無いだろう。
そして狙うならば、直接彼に向かうべきだ。
その為にも、まずは森だ。身を隠し、不意を付いて強襲する。出来るか?
「やってやるさ……!」
山猫に向かって牽制代わりに矢を放ちつつ、彼は呟いた。
‡ ‡ ‡
遠くで、また雷が落ちる。そして、炎が上がる。
もう幾度目だろうか? おそらく、あそこにリクセが居る。そして、あまり想像したくは無いが―――殺し合いを、しているのだろう。
正直なことを言えば、クッカは何故、自分がこんなにも必死になって走っているのか、よく分からなかった。
おそらくは、トリアのためだろうと思う。彼女の事が、理由の大きな部分を占めているのは、間違いない筈だ。
けれど、それだけだろうか? 彼女とは、昨日の夜初めて会って、会話だって数えるほどしかしていない。知り合いとすら、呼べるような間柄ではない。
なのに、自分は走っている。
多分、今向かっている先は、とても危険な場所だ。戦いに巻き込まれて、怪我を負うかもしれない。あるいは、死ぬ事だって、ある。しかし、
「大丈夫よね、きっと」
極めて楽観的に、クッカは呟いた。
本当に、あまり不安は無かったのだ。これも、よく分からなかった。昨日、あんなに怖い思いをしたはずなのに。
前方に、町の外へと続く門が見えた。開けっ放しだったそこを、まったくの迷い無くくぐる。
その先には―――黒い灰で埋め尽くされた大地が、広がっていた。
思わず、足が止まる。
「これが……戦いの跡?」
おそらく、元は草原が広がっていたのだろう。所々に、青い草も残っている。しかしその大部分は焼き払われ、灰と化していた。
これが、個人の戦いの跡なのだろうか?
ふと、視界の端に倒れている人影が映った。まさか、と思って、慌てて駆け寄る。
だが、すぐに足を止めて顔を背けた。口元を、手で覆う。
人間の死体を見たのは、初めてではなかった。長く戦争が続いていたあの時代、死体などそこかしこで見ることが出来た。様々な人々が、様々な死に方で死んでいた。
しかしその中にも、これほどの恐怖に引きゆがんだ顔の死体は無かった。瞳はもはや色を失っているはずなのに、あらぬ虚空に向かって助けを請い続けていた。開け広げられた口が、突き出された舌が、引き攣った頬が……。ひたすらに人間の表情で、死を恐怖していた。
ただ一目見ただけなのに、頭にこびり付いて離れない。もう一瞥とて、したくなかった。
「リクセが、やったの……?」
誰へともなしに、呟く。他に誰が居るのだと、彼女自身の思考が答えた。
しかしだとしたら、今リクセはどこに居るのだろう。もう、終わったのではないのだろうか?
その希望を無慈悲に否定する炎が、遠く東の森で上がった。
‡ ‡ ‡
顔を打つ熱波に、シャスティは仰け反った。
むざむざ相手に、森まで逃げ切られたのは失敗だった。
結果としてリクセを見失い、こうして無抵抗に、どこからとも知れぬ攻撃に身を晒されている。こうなっては、圧倒的に不利だ。
(こっちは、うかつに溶岩を使えないってのに)
オマケに足の怪我。このような状況では、標的にされないようとにかく動き回るしかないのだが、それすら満足に出来ない。
「どうしたもんかな」
手の甲で、額の汗を拭う。
相手の手札で、怖いものは炎と、弓だろう。雷は精度的にそう危険なものではなかった。とはいえ、楽観も出来ないが。慣れてくれば、少しずつ精度も上がってくるはずだ。
「望むべくは、早期決着か……」
異臭と共に、今度は背後から炎が迫る。飛び退いて交わしたところで、今度は左から弓が。頬が、浅く裂ける。
「クソッ。四方八方から好き勝手に……!」
このままでは、いずれ対処できなくなる。ジリ貧だ。ならばいっそ、と思いシャスティは走り出した。山猫も、横に続く。
木々の間を抜け、茂みを越え―――やがて、目の前の視界が開けた。
大地に裂け目、大峡谷。それを背に、森と向き合う。
これで、攻撃を受ける方向は前方と横だけに限定された。代わりに退路も失ったが、構わない。どのみち、あの少年を放置してはおけないのだから。
相手の出方を、待つ。
断続的に襲い来る、炎と弓。しかし、相手も攻めあぐねている様子が受け取れた。それに対処しながら、シャスティは叫ぶ。
「何故王を殺そうとする!」
見えぬ少年への問いかけに、答えは無かった。それでも、続ける。
「それがどういった事を及ぼすのか、お前は分かっているのか!」
今度は、答えが返ってきた。燃え盛る、炎として。
「クソッ……」
横に飛ぶ。右足が、ズキリと痛んだ。もう、限界が近い。
「王が死ねば、平和が崩れる! また、争いが起きる! それでも、お前は王を殺すというのか!?」
右足の痛みを堪え、崖沿いをひた走る。その跡を追うように、連続して炎の帯が連なった。
「シヴィアス様なら、お前を受け入れてくださる! お前は生きて行ける! それでは駄目なのか!? 答えろ、リクセ・ルクルス!」
「五月蝿いんだよ、黙れよ!」
悲鳴じみた叫びが、森の奥から届いた。
「こんな平和がどうだって言うんだよ! そんなこと、知ったことかよ! ああ、答えてやる! 僕は王を殺すぞ! どんな事をしたって、どんな犠牲を払ったって殺してやる!」
その言葉に、シャスティの沸点が一気に上がった。そんなこと? 平和を、そんな事とのたまったのか?
「キサマ、は……知らないから! そんな事が言えるんだ! 旧世界で、どれほどの血が流れたのか! 戦争が、どれほど悲惨だったのか知らないから、そんな事が言える!」
「アンタだってそうだろう! アンタだって知らないだろう!? この世界が、僕にとってどれほど苦痛か! この世界がどれほど狂っているか! 支配されているアンタには絶対に分からない!」
少年の言葉が続く。
「駄目なんだよ! 無理なんだよ! この世界じゃ、僕は生きられない! 僕以外の人間すべてが、何か違う生き物のようにしか感じられない! アンタらとは生きられない! 分かれよ! 分かるなら―――」
少年の声が、掠れる。搾り出すような、声に変わる。
「せめて黙って、僕を殺しに来いよ……。せめて黙って、僕に殺させろよ! それぐらい、いいだろう……!?」
その言葉を聞いて、シャスティはもう全てを諦めた。
もはやあの少年は、引き返せないところまで行ってしまったのだと、理解した。ならば、自分がすることは一つだけだ。
「女王の名の下に、お前を殺そう」
「雷よ―――」
その言葉を待ちわびていたように、リクセが叫ぶ。
「―――鳴れ!」
音と光が、世界を支配した。
シャスティから近い場所、遠い場所、見当違いの場所、あらゆる場所に雷が落ちる。狂ったように、落ち続ける。
閃光に次ぐ閃光。轟音に次ぐ轟音。
しかしその中で、
―――ザッ!
頭上から聞こえてきた小さな音を、シャスティは聞き逃さなかった。
振り仰ぐ。その先に。木の上に。銀の短剣を握り締めたリクセが、いた。
飛び降りる。全体重を乗せて、振り下ろされる刃。それを、身を捻ってかわす。かわしながら、シャスティも宝石からナイフを解放した。
振り下ろした短剣を切り返し、リクセが横に薙ぐ。受け止めるべく、ナイフを構えるシャスティ。
その刃同士が触れ合った瞬間、
―――バジィッ!
衝撃が、シャスティの身体を貫いた。
(刃に……電撃を溜め込んで……!?)
身体が硬直し、動きが止まる。ナイフが、その手から零れ落ちた。
短剣がシャスティの左足を貫き、引き抜かれる。
「がァッ!」
身体を支えきれず、彼は膝を付いた。
その眉間へと、短剣の切っ先が真っ直ぐに―――
‡ ‡ ‡
(とった!)
勝利を確信し、胸中でリクセは叫んだ。
視界の中で、シャスティの身体がゆっくりと崩れ落ちていく。
もうかわすことは出来ない。後はトドメを刺すだけだ。
リクセは短剣を強く握り締め、真っ直ぐに彼の眉間へと突き出した。その切っ先が、彼の顔面に突き刺さる―――筈だった。
―――ダン!
シャスティの身体が、跳ねた。
「―――なっ!」
負傷しているはずの右足一本で、高く飛び上がっていた。突き出された短剣を越えて、止まらないリクセの身体の上を通り過ぎて、背後にその身体が降り立つ。
背骨が砕かれるかと言うほどの衝撃に、リクセの身体は吹き飛んだ。
なんでだ? わけも分からず、リクセは自問した。
何故、動けた? 何故、あんな常識外れの跳躍が出来る? 電撃によって、身体は麻痺し、ロクに動かせなかったはずだ。それでなくても、右足は最初から負傷していたのに。そこまで考えて、リクセは思い出した。
―――死ぬかと、思ったが……これで、麻痺した足も動かせる……
(寄生根か!?)
そうだ。それならば、電撃で麻痺していたとて関係は無い。足は、動かせる。
そして、
―――負担がかかるから激しい動きは無理だけどな。それぐらいなら問題は無い……
その言葉は、負担さえ気にしなければ、無茶な動きだろうがなんだろうが出来ると言うことか。
(やられた……)
諦め以上に、感嘆を込めて胸中で呟く。最後の最後で、弱点だと思っていた事が覆るなど、誰が予想できるだろう。
吹き飛ばされたリクセの身体は、ゆっくりと放物線を描いて、崖を越えていく。もう、復帰はできない。自分は、ルィロのようには飛べない。
後はもう、緩慢にやってくる死を、待つことしか出来なかった。
自分は、ここで終わる。それを覚悟して、
「リクセ!」
少女の、声が聞こえた。
ゆっくりとした時の中で、静かに振り向く。
シャスティの後ろ。ここまでよほど必死に走ってきたのか。脇腹を押さえ、苦しそうに息をつきながら、クッカが佇んでいた。
その姿を見た瞬間、悪魔のような考えが頭に浮かんだ。その考えに、そんな事を思いついてしまった自分に、躊躇う。
本当に、そんな事をしてしまっていいのか?
(なにを、今更……)
彼女は、おそらく自分を探してここまで来てくれたのだろう。理由は分からないが、あそこまで必死になって、息を切らして走ってきてくれたのだろう。
その彼女に、そんな事をさせるのか?
(僕はもう……)
それは、人の行う所業じゃない。しかし、それでも。
ただ一つの事実が、彼の迷いを消した。
(人を、殺している)
差し伸べるようにクッカに手を向けて、リクセは命じた。
‡ ‡ ‡
「こちらに来い。クッカ・ルオコール」
‡ ‡ ‡
その言葉に。
止める間も無く、シャスティの横をクッカが走り抜けていった。
「あ……」
出損なった悲鳴が漏れる。
彼の見る先で、クッカは、リクセを追って、迷い無く、崖下へと飛び降りていった。
「あの野郎ぉぉぉぉお!」
考えるよりも先に、シャスティは茨の蔦を延ばした。
‡ ‡ ‡
リクセに向かって、両腕を広げたクッカが真っ直ぐに落ちてくる。
殆どぶつかる様にして、彼はクッカを空中で抱きとめた。
そしてそれを追って、幾本もの茨がうねりを上げてこちらに向かってくる。茨はリクセとクッカの身体を一緒くたにして巻きついていく。
―――ガクン!
衝撃に、骨が悲鳴を上げた。
大峡谷の底、もはや数十センチしかないギリギリのところで、二人の身体は止まっていた。
だが、安心しても居られない。いまだ握り締めていた短剣で、すぐに蔦を切り払う。ドサリと、重力に引かれて落ちる。二人分の重さに肺が耐えかねて、大きく咳き込んだ。
クッカは動かない。リクセの腕の中で、眠ったように気を失っていた。
リクセはしばらく咳き込み続け、やがてそれが収まると、こんどは静かに笑い声をもらした。
「は、はは……。落ちた。堕ち切った……」
肩を震わせ、静かに、静かに笑い続ける。
自分は、こんな少女すら生贄にささげて、今ここに居る。
「そうか、ここが、奈落の底かよ……」
呟き、身体を起こす。
ここは、深い深い穴の底だ。落ち続けていた、穴の底だ。
真っ暗で何も見えず、どこに行けばいいのかも分からない。出口があるのかどうかも分からない場所。
けれどソコには、底には、確かに、踏みしめるべき地面があった。ならば、歩ける。進むことが、出来る。
クッカを抱きかかえ、ゆっくりと歩き出す。どこか目的地があるわけではなかったが、歩くことは出来る。ひとまずは、この峡谷から抜け出さなければ。
ふと、リクセは思いついた。自分と、クッカの関係。これはまるで、
「魔王と、それにさらわれたお姫様、そのまんまじゃないか」
さして愉快ともいえないその思いつきに、リクセはまた、無理やり笑った。
笑って、笑い続けて、不意に、呟く。
「悪かったよ……。ごめん……」
その声を聞くことなく、クッカは眠り続けていた。
‡ ‡ ‡
「ぐっ……畜生! あの野郎。あの野郎!」
呪詛のような呟きをもらしながら、シャスティは崖へ進む。
動かない足と身体を、腕の力だけで引きずって。崖のふちまでたどり着く。
しかし、どうしようもなかった。この怪我で、追える訳が無い。左足は、太ももを深く短剣に刺され、今も血が止まらない。右足は、無茶な動きの反動で毛細血管が破裂し、おそらく腱も切れている。
どうしようも、無い。
「畜生! あの野郎、次にあったら、絶対に殺してやる。絶対に、クッカ様を、取り返してやる!」
淡く輝くサファイアを握り締めながら、何度も、何度も彼は叫んだ。
◇続く神話/魔王
しかし、そんな平和な世界も、やがて終わりを告げました。
現れた、一人の少年によって。
少年は、世界を憎んでいました。王を憎んでいました。
少年は王の支配を受けず、いくつもの宝石を集め、解放して、王に戦いを仕掛けました。
王の一人娘を誑かし、女王の妹君をさらい、心無い人々を、魔物を無理やり支配して戦わせ、戦争を起こしました。
少年の名は、リクセ。
雷雲を纏う魔王、リクセ・ルクルス。
第三節へ//