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■ オリジナル小説
   / 宝石を砕く魔王

 ・序  章 01
 ・第一節 01//02//03
 ・第二節 01//02//03
 ・第三節 01//02
 ・第四節 01

 

 




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第二節 三叉路の中心/少女 (3/3)


 リクセが店を出るのを見送ってから、ロジードは厨房へと戻っていった。
  片付けや掃除はあらかた終わっていた。一部を除いて、だが。
  厨房の奥、普段は使っていない予備の竈とその周辺だけが、世界が変わったように、しっちゃかめっちゃかの有様だった。
  焦げ付いて放置された鍋に、散乱した野菜の切りカス。なぜか折れている包丁。ひん曲がったオタマ。端っこが燃えてしまったエプロン。
  それは戦場の跡だった。
「帰ってきたら片付けさせようと思ってたが。……まぁ、しゃあねぇか」
  眠ってしまったのなら仕方がない。まぁ、疲れて当然だろう。昼間からずっと悪戦苦闘していたのだから。今から起こすのも憚られる
  トリアが、あの娘が、料理などというものをしたのだ。皿洗いもろくに出来ないようなあの娘が。奇跡と言ってもいい。今日は記念すべき日だ。ならば、片付けぐらいは代わりにしてやってもいいだろう。
  そう思ってしばらく片付けに没頭していたのだが、
―――ドタドタドタドタ!
  そんな親心を無下にする足音が、二階から響いてきた。見るまでもなく、トリアだ。
  彼女は寝起きを微塵も感じさせない形相で、階段を下りてくると、
「おい、どうしたんだ?」
「リクセんとこ行ってくる!」
  それだけ言って、外へ飛び出していった。
「……なんだ、ありゃあ?」
  ロジードはしばし、キィキィと振り子のように揺れる開き戸を眺めていたが、やがてため息混じりに持っていた鍋を放り出した。
  あそこまで元気なら、片付けをやってやる事もあるまい。自分は、さっさと寝入ってしまおう。
  欠伸をしながら階段を登ろうとしたところで、また扉が開いた。もうトリアが帰ってきたのかと思ったが、そうではなかった。
「すいません。宿をお借りしたいんですけど、大丈夫ですかー?」
  驚いたことに、旅行者らしい。珍しいことが重なるものだ。この店に泊り客が来ることなど、年に一度あるかどうかと言うほどなのに。
「はいはい、宿泊ですね。少々お待ちを」
  接客モードに顔を変えて、ロジードは三人の旅人を迎え入れた。

‡  ‡  ‡

 いつ寝てしまったのか、まったく記憶になかった。
  リクセの上に馬乗りになって、ひたすら拳を振るっていたところまでは覚えているのだが、その後がまったくわからない。
  夢だったのだろうか? しかし、そうとは思えないほど、現実感がありすぎる。今もまだ、なんと言うか心のうちに渦巻く殺意があった。ていうか、今からでも殺したい。ああ、殴りたい。
  とにかく、リクセの家に乗り込んであれが夢だったのかどうか確認するべきだろう。
  夢だったのなら一発だけ殴ってスッキリしよう。現実だったのなら、あいつを殺して自分も死のう。
  そんな本気なのか冗談なのか自分でもわからない、危ない決意を胸に、トリアはひた走っていた。
  そう時間もかからず、リクセの家まで辿り着く。
  問答無用でその扉を開こうとしたところで、聞き覚えの無い声が聞こえてきた。
「お前、これからどうするつもりだ?」
  先ほどの夢だか現実だかで会話した少女のものではない。野太い、男の声だった。
  ピタリと、固まったように動けなくなる。
「……それは僕の方が聞きたいことなんだけど」
「俺は、クッカ様を連れ帰らなければならない。お前が邪魔だ」
  見知らぬ男と、リクセの会話はなおも続いた。言っている内容は良く分からなかったが。
  ただ、言いようの無い不安が胸に渦巻く。
  これ以上、ここに居てはいけない気がした。これ以上、この会話を聞いてはいけない気がした。けれど、動けない。そして、
「いずれバレるぞ。宝石を集めていることも、貴様が王に支配されていない事も」
  呪いの言葉が、楔のようにトリアの心臓に打ち込まれた。
  息が止まる。頭が真っ白になる。今の言葉を、必死で否定しようとしている自分がいた。しかし、
「……上手く、やるよ」
  肯定を促す、リクセの声も、またあった。
  まだ何か声が聞こえたが、トリアは聞いていなかった。逃げるように、その場を立ち去っていた。いや、実際に逃げていた。
  何を聞いてしまったのか。自分は何を知ってしまったのか。理解できないわけではなかった。ただ、理解したくなかった。
  そんな事があってたまるものかと、抗うように否定し続けていた。
  けれどどうしようもなく、抗えるわけも無く、走って、逃げ出していた。
  気が付けば、彼女は自分の家の前まで来ていた。惰性的に、その扉を開いて家に入る。
  息が上がっていた。横腹が痛い。それとは別の何かも、痛い。
「おお、帰ってきたかトリア」
  その彼女を、父親の言葉が出迎えた。その様子がおかしいことに気付いたのだろう、ロジードが眉根を寄せる。
「……どうかしたのか?」
「なんでも、ない……」
  どうにかそれだけは口に出来た。
  もう寝てしまおうと、階段に足を向ける。
「ああトリア。今、宿泊客が来てるから、失礼の無いようにな」
「……お客?」
「ああ、三人な。騎士の方だそうだ」
  その言葉に、射竦められた。計ったようなタイミングで、二階から足音が降りてくる。
「ご主人、すみませんが裁縫道具を貸してもらいたいのですが……と、そちらの方は?」
「ああ、娘のトリアです。お気になさらず……トリア?」
  力をなくして、へたり込んだ。絶望が、胸の内を占める。かすれた喘ぎが、絶え間なく口からこぼれ出た。
  言わなければならない言葉がある。言ってはならない言葉がある。呼吸すらも二の次にして、トリアはこみ上げる何かに抵抗していた。何か。支配に。
「貴方は……? ああ、そうですか」
  小さな丸メガネをかけた少年が、納得したように頷いた。ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「貴方のような表情をした方には、何度か会ったことがありますよ。だから分かる。聞きましょう、何を知ったのですか?」
「う……あ……」
  少年から逃げるように後じさり、顔を歪めて首を振る。もう、それは堪え難いところまで来ていた。もう、無理だ。後一押しで、決壊してしまう。駄目だ、これ以上は駄目だ。
  けれど、少年は無慈悲に、死刑宣告のように今一度口を開いた。
「もう一度聞きましょう。何を知ったのですか? 答えてください、王の名の下に」
  トリアは、泣きながら、リクセのこと全てを少年に語った。

‡  ‡  ‡

 朝起きると、肩と首が痛かった。床で寝たからだ。
  身体を起こして横を見れば、シャスティが同じように床で眠っている。さらにその更に向こう側、この部屋唯一のベッドでは、クッカがすやすやと健やかな寝息を立てていた。
「……ホント、ここ誰の家なんだろうね」
  ベッドを蹴飛ばしてやりたい衝動をこらえて立ち上がり、カーテンを開ける。疲れていたためだろうか、起きるのが遅くなったらしい。日が、もう随分と高く上っていた。
「う……んん……」
  窓から覗く日差しを嫌ってか、クッカがもそもそと寝返りをうった。しかし、それでも眩しい事に代わりはなかったのだろう。やがて根負けした感じで、身体を起こす。
  しょぼしょぼと目を擦ってから開き、こちらを見て一言。いや、二言。
「……肩と首が痛い。このベッド硬すぎ……」
  やっぱり蹴飛ばしとけば良かったと、リクセは少し後悔した。
「あと、おなか減った」
  更に三言目まで述べてくれたわけで、本当にやっぱり蹴飛ばしとけば良かったと、リクセは激しく後悔した。後悔するだけで、今から実行する気にはなれなかったが。
「……なんか買ってくるから、待ってなよ」
  未だに図太く寝入っているシャスティを跨ぎ、外に出ようとしてふと足を止めた。
  テーブルの上に置いておいたポーチを取り、腰に巻く。
  中には昨日の夜のうちに選別しておいた、手持ちの宝石が入っていた。一応、用心に越したことはないだろう。外にも、内にもだ。
「適当に果物とかでいいよね?」
「うん」
  それじゃ、と手を振ってリクセは戸を開ける。瞬間、飛び込んできた日差しに目を細めた。
  いい、天気だ。中天から降り注ぐ太陽の光は、寝起きには少々酷だったけれど、それがまた気持ちよくもあった。
  一歩足を進めるごとに、気だるさを剥がす様に、頭が活性化していく。
  町は、昼間だけあってそれなりの人で賑わっていた。夜の暗い町並みとの落差は、人が光を祝う様のようだと、感じた。
  光は誰も彼も関係なく平等に降り注ぎ、誰も彼もの存在を証明するように照らし出す。だからこそ人は光の下で動き、その人生をひけらかして光に謝辞を述べるのだろう。
  風は誰も彼も関係なく掻き回して通り過ぎ、ゆえに誰も彼もの存在を他人に伝える。
  水は誰も彼も関係なく潤し、誰も彼もの存在を生み出し永らえさせる。
  熱は誰も彼も関係なく包み込み、誰も彼もに移り渡って存在の孤独を和らげる。
  それらは、平等で、誰かに、何かに縛られてはならないものだった筈だ。けれど、この世界ではそれらさえも、個人の手に渡ってしまった。
  人々はそのことに疑問も持っていない。当たり前だ、彼らだって支配されているのだから。誰も彼もが支配され、縛られ、疑問に思うことすらを、禁じられている。
  そしてそれゆえに、人は他人を信じやすくなった。
  それゆえに、この世界は、とても、平和だった。
  いつからだろうか。その事に不自然さを感じるようになったのは。一度感じてしまえば、後は坂道を転げ落ちるように、あっという間だった。
  くぅ、とお腹が鳴った。
「…………」
  まぁ、彼だって昨夜はシチューの一杯しか食べていないのだ。空腹で当たり前だ。
  歩みを速めて、町の大通りを目指す。大きな町ではないため、それほど時間はかからなかった。
  露天商に立ち寄り、適当な果物をいくつか買い込む。
  紙袋に詰められたその中から、りんごを一個取り出し、早速齧ろうと、
―――ズダンッ
  して衝撃が背中にひん曲がって背骨が砕けそうに吹っ飛んで転がりまわる悶えのわあああ
「ッッッッ……ぉ、ぉ、ぉのおおおお!」
「ああ!? だ、大丈夫ですか!」
「い、いい、いいいいいい!」
「すみません、よそ見していたら……っていうか、え? イイって、気持ちイイんですか?」
「いい、い、いま、思いっきり踏み込まなかった!?」
  どうにかこうにか背筋の激痛をこらえて、リクセは叫んだ。
「え? 普通に歩いていただけですけど」
  嘘だ! リクセは心の中で全力で叫んだ。今もまだ、背骨が砕けたかのような痛みに苛まれている。正直、馬車か何かに跳ね飛ばされたのかと思った。
  いやしかし、相手は少女だ。白いワンピースを着込んだ、線の細い女の子。袖から覗く腕も、とても筋肉質には見えない。あの衝撃は一体……。
「ああ、果物が……」
  ぶつかった際に袋を手放していたのだろう。道端いっぱいに果物が散乱していた。少女はちょこちょこと動き回って、それを拾おうとする。
「い、いいよ別に。自分で拾うから」
「いえ、わたしのせいですから」
  少女は程なく果物を拾い集めると、ついでに彼女のものだろう白いつば広の帽子も一緒に拾って、リクセの前に走ってきた。
「はいどうぞ。本当にすみませんでした」
  紙袋を手渡し、ぺこりと頭を下げてくる。そうしてから帽子をかぶって、少女ははにかむ様に微笑んだ。
  少し、ドキリとした。
  思えば、女の子に笑顔を向けられたのが久しぶりだったのだ。トリアはアレだし、クッカもソレだったし。
  それに素直に、少女は可愛らしかった。
  歳は自分より少し下、十四歳位だろうか。背は、歳にしてはやや小さい。
  挽きこまれそうなほど深く大きな黒い瞳が印象的だった。腰まで届く長い髪も、同じく黒一色。ともすればそれらは、あまりにも純粋すぎて周りから浮いてしまいそうだったが、彼女の柔らかな顔立ちが、上手く溶け込ませていた。白で統一された服装も、彼女の『色』に対比するようで、よく似合っている。
「あの、それで少しお聞きしたいんですけど……」
  白黒の少女はそう言って、少し恥ずかしそうに俯いた。我に返る。
「あ、うん。……えっと、なに?」
「小鹿亭という店に行きたいんですけど、どう行くか分かりますか? 道に迷ってしまいましって……」
「ああ、小鹿亭ね」
  それならば分かる。なぜなら、トリアの家の店だった。
「そっちの道を突き当りまで行って、北に曲がればあるから。すぐ分かるよ」
「そうですか。ありがとう御座いました」
  再度お辞儀をし、少女は立ち去っていこうとして―――ふと振り向いた。
「北ってどっちでしたっけ?」
「あっち」
  リクセはまっすぐ横に、指を突き出した。

 少し、遅くなってしまった。
  その事で文句を言われるのも嫌なので、自然急ぎ足になる。
  背中の痛みは、もう大分引いていた。にしても、本当にアレはなんだったのか。トリアの蹴りだって、あそこまで強烈なものは喰らったことがない。謎だった。
  まぁ、もうあんなことに会うことは無いだ、
―――ズダンッ
  ろうけど肩が外れ骨折れ曲がっちょ捩じ切れ腕がひしゃげ飛んで横倒しが地すべりのえええ
「ッッッッ……ぉ、ぉ、ぉのおおおお!」
「ああ!? だ、大丈夫ですか!」
「き、きき、きいいいぃぃぃ!」
「すみません、よそ見していたら……っていうか、え? き、いい? 気持ちいいんですか?」
「き……君なんでまたぶつかってくんの!?」
  涙目になりながら叫ぶ。痛かった。ものすごく痛かった。
「ああ、よく見れば先ほどの人!」
「よく見ればじゃないよ。大体にしてなんでこっちにいんの! 小鹿亭に行くんだろ!?」
「え、北ってこっちですよね?」
「向こうだよ!」
  正反対だった。
「ああ、果物が……」
  その言葉で、気付く。倒れたリクセの下敷きになって、紙袋の中で果物が潰れていた。
「すみません、わたしのせいで……。弁償しなくちゃ……」
「い、いいって、これくらい……」
―――ぎるぎるぎゅう
  実にタイミングの悪いところで、お腹が鳴った。かなり、恥ずかしい。
「お腹減ってるんですか? そうだ。お詫びにご馳走しますから、一緒にお食事しましょう!」
「いや、いい。ホントいいから。じゃ」
  紙袋を拾いながら即答して、背を向ける。
  確かに顔は可愛いが、彼女と一緒に居るとロクなことになりそうになかった。それに、食事となると恐らく小鹿亭だろう。トリアの前で、この少女と一緒に食事。
  昨日あんな事があったばかりだというのに、それだけは本当に勘弁だった。
「そうですか……」
  背後から、少女が残念そうに、

「本当に、貴方は、支配されていないのですね」

 底冷えのする声で、呟いた。
――――!?」
  我が耳を疑って、振り返る。
  この少女は今何を言った? 何と言った? 誰の声で言った? この声は聞いたことがある。
どこで聞いた? この既視感はなんだ?
「正直、半信半疑だったんですけどね……」
  少女が帽子を取る。それと一緒に髪も―――髪? カツラ? その下に隠されていたのは、短く切った、黒髪。
「お前……!」
「お前ではありません。ルィロニアです。ルィロニア・コラトリオ。享楽の王、イフトエノ・コラトリオの一人娘です」
  それはまさしく、森で出会った、蝙蝠マントの少年だった。


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