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■二次創作小説
 /魔法少女リリカルなのは
  / 海鳴市での
      奇抜な休日シリーズ

  ・ツンぎつ!
     01//02//03

 

 




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 ツンぎつ!(2/3)


 ぐっしょりと湿った服の不快感に眉をしかめつつ、自転車を押して歩いていく。
 彼の前では、美由希と那美が並んで歩き、会話を弾ませていた。
「あ〜、でも久しぶりですよねぇ、美由希さんのお家におじゃまするのも」
「もう一年近く経ちますもんね。那美さんが、鹿児島に帰ってから……。向こうではどうでした?」
「大変でしたよぉ。私は、お世辞にも才能のある方じゃありませんからね」
  でも……、と胸に抱いた久遠を優しく撫でて、那美は続けた。
「この子と一緒にいるためには、必要なことでしたから……」
  慈しむ母のようなその声は、どんな経験の元に出た言葉か。クロノには想像も付かなければ、安易に聞くことも出来ない。ただ、そこに込められた思いだけは、何となく感じられた。
「彼女も、色々あってな……」
  ふと、横に並んでいた恭也が声をかけてきた。
「久遠のことは、まぁ勘弁してやってくれ」
「……別に。いつまでも根に持つほど、僕は子供じゃありませんよ」
  大きく息を吐き、張っていた肩の力を抜く。まぁ、服は洗えばいいことだし、傷だって数日もすれば治るだろう。何より、あんな声であんな台詞を聞かせられれば、怒りだって萎んでしまうというものだ。
  クロノの返答に、それは良かったと恭也が僅かに笑みをこぼすと、今度は那美に声を向けた。
「それで、引っ越しの片付けは、もう済んだんですか?」
「あ、はいー。寮の皆さんに手伝って貰って。風ヶ丘への復学手続きも、もう出来てるんですよ」
「え? じゃあ、那美さんもしかして……」
「ええ。今度は同級生ですね、美由希さん」
  その言葉に歓声を上げて、美由希は那美に抱きついた。
「那美さーん! この一年寂しかったんですよぉー」
  その姿を、声をかけることも出来ずに呆然と眺める。
「美由希は、ああ見えて全っ然友達いなくてなぁ……」
「そうなんですか? その割には、エイミィとすぐ仲良くなってましたけど」
「いや、最近気付いたんだが。なんというかこう、世間一般で言う普通じゃない人間とは、簡単に打ち解けられるらしい」
「ああ、なるほど」
  妙に納得する。確かに、エイミィもまぁ割と普通じゃない。その点に関しては自分も同様だが。
「あ、でも……。三年のこんな時期に復学って、受験大丈夫なんですか?」
「う゛」
  それを聞いた瞬間、那美の身体が石化魔法でも掛けられたかのように固まった。
「…………やばい……です?」
「……じ、実は」
  頬に汗を垂らし、目をそらしながら那美は答えた。
「向こうでは鍛錬ばっかりで、勉強してる余裕が無くて……」
「……ぜ、全然?」
「まったく……これっぽっちも……」
「……次の英文を和訳せよ。『I am always all energy fully opening』」
「ええ!? う、あ……わ、わた……私は毎朝完全にたぎっています?」
「那美さんー!?」
「うわぁぁぁあんんダメなんです、私はもうダメなんですよぉぉおお!!」
  涙を浮かべながら今度は那美が美由希の胸に飛び込んだ。そんな様子を眺めつつ、クロノは「なんか出来の悪い翻訳機を使ったような英語だったなぁ」とかどうでもいいことを考えていた。
「お、落ち着いて那美さん! 大丈夫、ほらあそこに現役の大学生が……専属家庭教師が!!」
  美由希にびしっと指さされた恭也に、那美は恐る恐るといった感じで縋るように視線を向けてくる。
  対する恭也は、いきなり話を振られたことにキョトンと目を瞬かせ、しかしすぐさまフッと余裕のある笑みを浮かべた。
「いいか美由希、良く聞け……」
  優しく、諭すように恭也が呟く。
「……なに?」
「ぶっちゃけな……。大抵の大学生は、勉強なんて出来ない馬鹿なんだよ……!!」
「無手式射抜―――!!」
「おごっ!?」
  常人相手ならばそれだけで殺しかねない、ライフル弾のように遠く突き抜ける抜き手が、恭也の鳩尾に突き刺さった。
「…………『私はいつも全力全開です』、か」
  流石なのはの姉だと、クロノは誰にも聞こえないように小さく呟いた。


 そんな深刻なのか軽いのかよく分からないやり取りを交わしつつも、程なく一行は高町宅に到着していた。
「ただいまー。なのはー、那美さんと久遠来たよー!」
  玄関を開け、開口一番はなった美由希の言葉に、二階からバタバタと慌ただしく駆け下りてくる足音が響いた。
「くーちゃん!」
  満面の笑顔を顔に咲かせて、なのはが階段から顔を覗かせる。それを見て、久遠が那美の腕の中からぴょんと抜け出した。
  くるりと回転して地面に降り立つ直前、その身体が白く淡い光に包まれる。目映さに目を閉じて、再度開いたときには、そこに黄金色の髪を結った女の子が立っていた。歳はなのはと同じか少し下。昨夜見た那美と同じような民族衣装に身を包み、頭とおしりからはこれまた麦畑を連想させる黄金色の毛並みの耳と尻尾が―――と、そこまで観察したところで、クロノは、ああ、と思い至った。そう言えば、この子狐は魔法生物だったのだ。変身能力まで持っているとは知らなかったが、そう驚くことでもない。
「なの、は」
  少女の姿へと変じた久遠が、か細くも愛らしい声を出して玄関に飛び込んでいく。クロノもそれに続いて中に入ろうとしたところで―――
―――バタンッ
「ぶっ!」
  久遠によって後ろ手に閉められたドアが、鼻っ面にぶち当たった。しばし、そのままの状態で固まる―――いや、震える。
「……だ、大丈夫か?」
「すいません! ほんっとにすいません!!」
  慌てた感じで声を掛けてくる二人に、クロノはフ、フフフ……と、酷く影のある含み笑いで答えた。
「大丈夫ですよ……獣の……獣のやる事じゃないですか……。僕は全然まったく気にしてませんよ……」
  なおも含み笑いを続けながら、改めて玄関のドアを開く。キョトンとした、なのはの顔が出迎えてくれた。
「やぁなのは。君の家に来るのは久しぶりだが、おじゃまさせて貰うよ」
  気持ち悪いほど爽やかな笑顔でそう告げて、中に入る。
「あ、うん。いらっしゃい……だけど……。その、クロノ君鼻血が……それになんか服も……」
「ああ、これか。全部そこの駄狐にやられた事だが、なに、君の気にする事じゃあないさ」
「フゥー!!」
  なのはに抱きついたままの体勢で、久遠が威嚇してくる。クロノは相変わらず笑顔を絶やさず、底冷えのする含み笑いで対抗した。なのはは訳も分からず、え? え? と二人の顔を交互に見るばかりで、
「ほら、なのは、久遠。奥に行こう、奥に」
「はいはい、クロノ君はお風呂だからこっちねー……」
  取り合えず危険物二人を遠ざけようと、恭也と美由希は極めて迅速に対応した。

 コンコンと軽くノックをしてから、美由希は脱衣所の扉を開いた。
「タオルと着替えここに置いておくから。恭ちゃんのお古だけど」
「あ、はい」
  磨りガラスの向こう側へと声を掛けると、シャワーの音に混じってくぐもったクロノの声が帰ってきた。
「流石に下着は用意してないけどね」
「いや、用意されても履きませんが」
  そうだよねーと軽く笑って、美由希はクロノの服の湿っていない部分を摘むように持ち上げた。
「それじゃ、こっちの服は洗濯しておくから」
  服にはあまり気を遣わないのか、幸いまとめて洗っても問題ないものばかりだ。脱衣所に置いてあった洗濯機に放り込み、洗剤を入れてスイッチを押す。
「すいません、何からなにまで……」
「いいのいいの。なのはがいつもお世話になってるみたいだしね」
  それだけ言って、脱衣所を後にする。
  居間に戻ると、翠屋のシュークリームを囲んで皆が雑談に花を咲かせていた。とはいえ父と母は緑屋の仕事だし、彼女の姉とも言える幼なじみの女性や、喧嘩ばかりでやかましくも仲の良かった妹分二人も今は居ないのだが。
  その事に一抹の寂しさを感じつつも、美由希は会話の中に加わっていった。
「忍さんはどうしてます?」
「相変わらず……いや、酷くなってるか。単位だけ落とさないように大学行って、後は好き放題ですよ」
「忍さんなら、もっと良い大学は入れたのにねー。愛されてるよねぇ、恭ちゃん」
「またそれかお前は……」
「だってねぇ?」
  ねぇー、となのはと頷き合う。
  その様子を、恭也は照れを隠した苦い面持ちで眺めていた。
「変わらず、ですか。いいですねぇ」
  それとは対照的に、那美は穏やかにほほえんでいる。
「ああでも」
  ふと表情を変え、那美がなのはに顔を近づけた。
「なのはちゃんは、ちょっと変わったかな?」
「ふえ? そうですか……?」
「うん、成長したってのは勿論なんだけど、なんていうか……」
  そこで言葉を止め、何か考え込むように言いよどむ。
「変な話しだけど……昔の薫ちゃん見たいな、子供らしさの中にアンバランスな凛々しさがあるっていうか……。まさか、恭也さんに巻き込まれて、どこかで一戦を乗り越えたりとかした?」
「ええ!?」
  じとー、と目を細めて問い詰めてくる那美に、なのはが慌てて仰け反った。
「そ、そんなわけ無いじゃないですかー……」
「う〜ん……まぁ、そっか。そうよねぇ、普通そんなこと起きないよねぇ」
「あははは……そ、そうだ、那美さん写真取りましょう! 新しいデジカメ買ったんですよっ」
  そう言って、なのはは逃げ出すように居間から出て行く。
「……那美さんって、妙なところで鋭いよね」
「ああ……。普段はぼーっとしてるんだがなぁ……」
「あら? そう言えば久遠は……」
  後でコソコソと話し合う二人に気付かず、那美はキョロキョロと居間を見渡していた。

「ふぅ……」
  シャワーを浴びながら、クロノは息をついた。
  頭皮を叩く湯に流されるように、頭に登っていた血がゆっくりと冷めていくのを感じる。
  何を怒っていたんだクロノ・ハラオウン。感情に流されるのは愚かなことだ。また、ヴィータと争った時のようなみっともない醜態をさらすつもりか、まったく。
「……よし」
  気持ちの切り替えが完了したのを自覚して、クロノはパンッと両頬を叩いた。
  シャワーを止め、浴室から出る。
  脱衣所を見渡すと、すぐ足下のカゴにタオルと着替えが置かれていた。
  タオルで頭を拭きつつ、着替えに手を伸ばそうとしたところで、クロノは怪訝そうに眉をしかめた。きちんと折りたたんで置かれていたタオルとは対照的に、着替えの方は何故か乱雑に散らかっている。服の上に置いてあったS2Uのタロットカードなど、床に放り出されている始末だ。というか下着が見あたらないのだが。S2Uを拾い、辺りを探る。と、
―――ギィィ……
  蝶番の擦れる音に、クロノは顔を向けた。そこにはクロノのトランクスを咥えて、そっと脱衣所から出ようとしていた子狐の姿があったりなんかしちゃってたわけで。そのつぶらな瞳と見つめ合うこと一秒弱。
「ちょ……まっ……」
  ササッと、素早く子狐はドアの隙間から逃げ出した。
「じ、冗談じゃない!!」
  それを追い、クロノも慌てて脱衣所を飛び出した。飛び出してしまった。全裸の腰にタオル巻いただけの状態で……。


 ドダダダダダダ!
「まッ……待て!!」
  パンツを咥えた狐を追い、廊下を駆け回る。とはいえそれなりに大きくても一般住宅の廊下だ、すぐに行き止まりに差し掛かった。しかし久遠は咄嗟に反転。小回りと身体の小ささを生かし、クロノの股の間を潜り抜ける。
「クゥ〜ン!!」
「しまった……ッ!」
  クロノをすぐさま振り返り後を追う。久遠は二階に逃げ込むべく階段を駆け上がろうとしていた。それを見た瞬間、クロノは魔法を起動させた。
  飛行魔法ではなく、重力制御。自身にかかる引力定数の改変により、自重を零にして飛翔。さらに階段の壁を蹴り、三角飛びの要領で瞬時に久遠の頭上へと移動する。
「くぅ!?」
  宙返りして逆さになった視界の中、つぶらな瞳を丸くしてクロノを仰ぐ久遠を捕らえながら、左手を伸ばした。その時、
「久遠、家の中で走り回っちゃだめっていつも……」
  ガチャリと階段側の扉を開けて、那美と美由希が顔を出した。
「!!?」
  それに気を取られたクロノの隙を突き、今度は久遠が飛ぶ。空中で交差する一瞬、その前足の爪が伸び、

―――斬!

 クロノを(社会的に)抹殺するべく腰のタオルを切り裂いた。
「あ……」
  三つに裂かれ、ゆっくりと宙を舞う白布。二人のうら若き女性が見上げる中、程なく遮るものはなくなり、クロノのスウィートスポットは白日の下に晒される事となるだろう。
  もはやそれを隠すものは無い。何も。え? マジ? マジに……何も? 何か―――
(何かあるだろう!? つかあってくださいお願いします誰か助けて!!)
  自身の周り、360度全方位、隅から隅まで、この裸体を隠すことが出来る場所ないし物を模索する。しかし、無い。見付からない。自分が手に持っているのは小さなカードのみでこれだけでは隠しても到底はみ出して、ってああああああ!!
「ええええええええすつーゆーせっとあっぷぅぅぅぅぅぅぅうううううう!!!!!!」
  クロノは叫んだ。タロットカードから溢れるように光が飛び出し、糸を紡ぐように彼の身体に巻き付く。その間、0.5秒足らず。
  ぐるんと身を捻り、黒いコートのようなバリアジャケットを羽織ってクロノは着地した。
「…………」
「…………」
「…………」
  クロノと、美由希と、那美と。三人の間に、重苦しい静寂が生まれる。
「み……見えました……か?」
  カラカラに渇いた喉から無理矢理血反吐を絞り出したようなクロノの問いに、美由希と那美は揃ってブルンブルンと激しく首を振った。
「そう……ですか……」
  静かに、しかし噛み締めるように呟いてクロノは立ち上がった。
「では、僕はこれからあのケダモノを、暴力以外のあらゆる手段を用いて『ごめんなさい』と泣いて謝らせないといけないので……失礼します」
「あ、うん……」
「えっと、えっと……その、出来れば、程々に……」
「……善処します」
  そうして、クロノは再び駆けだしていった。

 で、残された美由希と那美はといえば。
「……那美さん知ってました? クロノ君、ああ見えてもう15歳になるんですよ……」
「ええ!? てっきりなのはちゃんと同じぐらいかと……あ〜……でも確かに……ちゃんと15歳ぐらいでしたねぇ……」
「ねぇ……。何かこう……ちゃんともさもさと……」
「ですねぇ……割と立派に、むきむきと……」
  乙女の恥じらいとして主語と表現をぼかしつつ、そんな会話をしていた。つかしっかり見ていた。

 ついに久遠は追い詰められていた。
「……観念して貰おうか」
  クツクツと悪役バリの暗い笑みを顔に張り付かせ、クロノがゆっくりと近づいてくる。
  振り返った先には半開きになった玄関のドア。そこさえ潜れば自分の勝ちだというのに、後ろ足に絡み付いた不可思議な青白い鎖のせいで、後一歩が踏み出せない。
「さあ、謝れ。取りあえず謝れ。パンツ無しのバリアジャケットで走り回ったせいで色々擦れて痛い思いをした僕に謝れ」
  何つーか、無茶苦茶みみっちぃ少年の物言いに、久遠は少女へと変身して答えた。
「ふぃや、ば……ッ」
「その姿になってまで僕のパンツ咥えてんじゃない!!」
  それは確かにそうだと、咥えていたパンツを手に握り直して、久遠は再度口を開いた。
「いや、だ」
「何でそこまで僕を目の敵にするんだ……。こないだの事は、ちゃんと謝ったろう」
「まず、おまえのかおが、きにくわない」
  久遠はひとまず非常に表面的な部分から少年を否定した。
「か、かお……」
「くおんのなわばりに、はいってくん、な……!」
  そして、とどめの一言。
「ちー、びー!」
  ブチリとクロノの中で完璧に何かがキレた。
「こっ―――もう容赦しない! 世間体なんてクソ食らえだからなどちくしょうっ!!」
「ぎゃうぅぅうううう!!」
  大人げなく掴みかかろうとするクロノに、小さな犬歯を向いて久遠も対抗する。襟を掴んできたクロノの手に噛みつき、怯んだ隙に虎の子の金的蹴りをお見舞いする。
  流石にそれは屈んで防がれたが、それこそが狙いだ。低くなったクロノの肩を足蹴に飛び越え、背後に逃げようとする。
「甘いッ!」
  しかし、足に巻き付いていた鎖の事を久遠は忘れていた。飛んだ所を鎖に引かれ、空中でバランスを崩してしまう。
「くぅ!?」
  落下していく身体をどうにかしようと必至に伸ばした手は、玄関先に置かれていた大きな靴棚に触れ、
―――ガタタン!
  その衝撃で、棚の上に置かれていた手の平ほどの四角いメタリックボディの何かが、コロリと落ちた。
「あ……」
「く……?」
  カツーンと乾いた音を立てて、その―――高性能最新式デジタルカメラは床に転がった。
「う……うわわわわわわぁぁぁあ」
「あうあうあうあうあうあうあうあ」
  二人、今までの諍いも争いも全て遙か彼方に追いやって、青ざめた顔でデジカメの元に駆け寄る。
  ゴクリと、クロノが唾を呑んだ。僅かに震える手でゆっくりとデジカメを拾い上げ、恐る恐る……電源を入れる。
「………………つ……つかない……」
「……こわ……れ、た?」
  クロノの頭に浮かんでいたのは、先週の光景だった。フェイトと遊ぶためウチに来て、「えへへ、やっとお給料で買ったんだー」と嬉しそうにこのデジカメを見せていた―――なのはの姿。
  久遠が思い出していたのは、去年、まだ鹿児島に帰る前に行ったお花見での光景だった。これとは別のデジカメで、しかしやはりとても大事そうに持って皆の姿を嬉しそうに撮っていた―――なのはの姿。
  そのなのはが大事にしているデジカメを、壊した。
  ガタ……ガタガタガタガタガタガタ…………!
  南国の砂浜から突然、氷点下の雪山に素っ裸で放り出されたかのように、二人は激しく震えだした。
「どどど、どうするんだこれ! よりによってなのはのデジカメを!」
「く、くおんちがう! おまえがー、おまえがー!」
「何を言ってるんだ! 君の手がぶつかったから、デジカメが落ちたんだろう!?」
「ちがうー! ちがうー!!」
「あれ〜……おかしいなぁ、どこに置いたんだろ……」
  トテトテという足音と共に聞こえた声に、二人はピタリと言い争いを止めた。
「あ、くーちゃん。クロノ君」
  ササッと目にもとまらぬ速さでデジカメを背後に隠し、寄り添うように肩をくっつけて二人は振り向いた。
「ねぇ、二人とも私のデジカメ見なかった? こんくらいの大きさで、シルバーのやつ」
「あ〜……その、だな……」
「み、みてないっ」
  正直に言うべきか否か、迷っていたクロノの呟きを遮って、久遠が言った。横で平静を装いつつも、胸中でクロノは頭を抱える。
(泥沼にはまったな……)
「そっか。それで……二人とも、玄関で何してるの?」
「え? あ、う……え、と……」
  それに対する嘘は用意していなかったのだろう。とたんに、久遠は言い淀んでオロオロしだした。
「靴を見ていたんだ」
  もはやここに至っては仕方がない。助け船を出すように、今度はクロノがキッパリと言い放った。
「靴を? なんで?」
「靴を観察すれば結構いろんな事が分かる。例えば、玄関にある靴で家族構成がある程度分かるし、靴の種類や汚れ具合で趣味なんかも予想できる。脱いだ後の靴がどう置かれているかで、その人の性格も分かるな。君のスニーカーなんか、綺麗で汚れもなく、隅っこにきちんと置かれていて、丁寧で几帳面な性格が良く出ている」
「そ、そうかな……」
  一応褒められているらしいと感じたのだろう。戸惑いつつも、なのはは照れ笑いを浮かべた。それに、クロノも極上の笑顔で返して、ポンッと彼女の肩に右手を置く。ちなみに背中に回した左手には、未だにデジカメが握られていた。
「ところで……体力作りのために僕が言っておいたランニングは、ちゃんとやっているのかな? ホントに綺麗なスニーカーで、走っている様子が欠片も見られないんだが」
  ピシリと、なのはの表情が凍った。笑顔で二人固まったまま、しばしの沈黙が流れる。
「…………」
「…………で」
「で?」
「デジカメどこいったのかなー……」
  まったく装いきれていない自然を装って、そそくさとなのはは逃げ出した。
「…………思い通りッ」
  なのはの姿が廊下の向こうに消えるのを見届けてから、クロノはニヤリと笑みを浮かべる。
「……おまえは、やっぱりろくでもないやつだ」
「うるさいな。仕方ないだろう、君が先に嘘をついたんだから」
  それよりも今はデジカメだ。もう一度スイッチを押してみるがやはり反応がない。
「くそっ。どうする……」
  今から修理に出していたのでは間に合わない。デバイスの修理なら、自分でもある程度は出来るが、この世界の機器とはかなり構造が違っている。すぐに出来るかどうか怪しい。少なくとも今日中には無理だ。
  黙り込んで思考していたクロノに、いい加減じれたのだろう。久遠が、サッとデジカメを掠め取った。
「くおんが、なおす!」
「君が?」
  この子狐に、そんな芸当が出来るのだろうか?
  しかし、今は藁にも縋りたい状況だ。もし出来るのなら、それに越したことはないのだが……。
「みぎ、ななめ、よんじゅうごどのかくどから……」
「って、やめろぉぉぉおおお!!!」
  いきなり拳を振り上げて叩き下ろそうとした久遠の頭を叩き、素早くデジカメを取り返す。
「何を考えてるんだ精密機械に!」
「か、かおるはこれで、てれびなおしてた……」
  叩かれた頭を抑え、少し涙目になって久遠が訴えかける。
「そんなもので直ってたまるかっ」
  こんなのに期待した自分が馬鹿だったと、クロノは深くため息をついた。
  こうなったら仕方がない。多少の出費は覚悟して、新しいものを買ってしまうしかないか。
「……いや、待てよ」
  ふと先週、フェイトとなのはが会話していた内容をクロノは思い出した。
  そう、確か家に来てフェイトに見せながら、何か気になることを熱く語っていたような……。

『わ、すごいね。あれ、でも買うのはもう少し待つって言ってなかった……?』
『うん、そうなんだけど……。実はこれ、限定モデルなんだー。偶然見つけて、これを逃したらもう手に入らないって思ったら、勢い余っちゃって……』

「…………」
  ははは。そうかー、限定モデルかー。プレミア品かー。もう手に入らないかー……。
  母さん。貴方ももう若くないんですから、身体には気をつけてください。レティ提督と飲み過ぎて倒れても、もう僕は面倒を見ることが出来ませんから。フェイト、君はまだまだ先がある。僕はもう見守れないけど、精進して、僕も霞むような魔導師になってくれ。アルフ、母さんやフェイトを助けてやってくれ。エイミィ、ちゃんと結婚しろよ。父さん……もうすぐ会いに行きます……。
「正直に話して……旅立つとしよう……」
「きゅぅん! くきゅぅぅぅううん!!」
  フラフラと虚ろな目で歩き出したクロノを引き留めようと、久遠が必至に腰のコートを引っ張る。相当なのはが恐いのだろう(まぁ、それはクロノも一緒だが。彼はもはや人生を諦めている)、死にものぐるいの形相だった。
「ええい放せッ。もう詰みだ、ゲームセットなんだよ! 諦めようが諦めまいが試合終了なんだ!!」
「はなさ……ない!」
―――ガブリ!
「っいぃい!!」
  手首に思い切り噛みつかれ、クロノは声にならない悲鳴を上げた。デジカメが手からこぼれ、それを久遠がキャッチして素早く外へと逃げ出す。
「く! もうどうしようもないって、何で分からない!?」
「うめて、かくす……!」
  あ、割と妙案かもしれない……。膿んだ頭にそんな悪魔のささやきが聞こえたが、すぐに首を振って振り払う。流石にそこまで落ちたら終わりだ。司法のために生きてきた、今までの彼の人生全てを否定することになってしまう。それに、
「君は……なのはの親友じゃなかったのかぁぁぁぁああ!!!!」
  突き刺さるように―――その言葉は久遠の心に響いた。
  そう、だった。自分はなのはの親友で、なのはも久遠の親友で。笑ったなのはが好きで、楽しそうななのはが好きで。怒ったなのはは恐いけど、それ以上に悲しい顔をしているなのはが嫌で。だから、そうだ。そうなのだ。自分は、なのはが好きなのだ。
  けれど、今このデジカメを隠してしまったら、その好きだという気持ちが嘘になってしまう。自分で、その気持ちを否定してしまう。そんなことは、絶対に嫌だった。だから―――
  返そう、返して謝ろう。例えそのせいでなのはに嫌われてしまっても、それは仕方のないことだ。仕方ないで片付けてしまえるほど、軽い事じゃ到底ないけれど。それでも、大好きななのはを、なのはを好きだという気持ちを裏切ってしまうよりは、ずっと良い筈だ。
  そして、久遠は立ち止まった。
  しかしクロノは急に止まれなかった。
「ちょ、いきなり止ま―――ぐあ!」
「くぎゅ!?」
  後から追いかけていたクロノがぶつかり、その衝撃でデジカメがぽーんと投げ出される。
  四角いメタリックボディは、ひょろひょろと放物線を描いて塀を越え―――
―――ブロロロロロロロロロロ……。
  道を走っていた幌つきの軽トラの上に、ぼすんと落下した。
「…………」
「…………」
  今日何度目かの沈黙は、それまでで一番冷たかった。
  真っ白にフリーズした頭。今しがた起こった出来事を、否定しようする本能。
  それでも―――クロノはものの数秒でそこから立ち直った。戦場では、考えることを止めた人間から死んでいく。だから、思考を止めるな!
  すぐに追いかけ無ければならない。だが走っては無理。とはいえ、この世界の住宅街を真っ昼間から飛び回るわけにも行かない。なら取るべき手段は一つ!
  クロノは直ぐさま、門のそばに駐めてあった自転車に駆け寄った。素早くチェーンを外し、サドルに跨る。
  しかしペダル足をかけたところで、久遠が正面に立ち塞がった。
「くおんも、いく!」
「君は待ってろ。必ず取り返してくるから」
「おまえだけに、まかせておけない。それに……くおん、なのはのともだち!」
  その瞳はただ真っ直ぐで、綺麗だった。
「……分かった。けど二人乗りじゃ追いつけない。狐の姿に戻って、肩にしがみつけ」
  久遠は素直にその言葉に従って、クロノの肩に飛び乗った。
「爪を立てて食い込ませてろ。僕の肌に突き刺すぐらいの気持ちでだ。……振り落とされるなよ?」
  そしてクロノは再び黒い風となり、
「く―――きゅぅぅぅぅぅぅぅうううううううううううう!!!?」
  久遠の悲鳴が、ドップラー効果を伴って住宅街に響き渡った。

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