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■二次創作小説
 /魔法少女リリカルなのは
  / 海鳴市での
      奇抜な休日シリーズ

  ・ツンぎつ!
     01//02//03

 

 




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 ツンぎつ!(1/3)


「あ、クロノ。おは……よう?」
  朝、顔を洗ってリビングに出ると、いつもの控えめな笑顔―――ではなく、目を丸くした驚きの表情でフェイトが出迎えてくれた。
「ど……どうしたの? その顔……」
「いや、ちょっとね……」
  若干頬を引きつらせつつ、クロノはそう返した。
  まぁ、驚くのも当然だろう。朝起きてきた義兄の鼻にでっかい絆創膏が貼られていて、さらには顔中にひっかき傷のようなミミズ腫れが走っているのだ。これで驚くなという方が無理である。
「ちょっとって言われても……えっと、すごい顔だよ?」
  酷い顔、と言わない辺りが彼女の優しいところか。そんな義妹の心づかいにちょっぴり癒やされつつも、流石に詳しく説明する気にはなれなかった。
「頼むから、深くは聞かないでくれ……」
  複雑な表情を浮かべつつ、テーブルに着く。
  結局、フェイトは気になりつつも、それ以上訪ねることは出来なかった。

 そして、いつものようにクロノは自転車を走らせていた。
  昨日は散々な目にあったが、残った今日の休日だけは、とことん満喫しなければならない。さっきからすれ違う人々が、やたらとこちらを見て怪訝な顔を見せているが、そんなことは知ったことか。何人たりとも、今の僕を阻むことはできない!
  と、そんな半ば意地のような感じで、軽快に自転車をこぎ続けていると、神社の階段下に差し掛かったところで、何かを打ち合っているような乾いた音が遠くに聞こえた。
  カン、カカン―――
  耳を澄まさなければハッキリと聞き取れないほどの小さな音で、普通ならば特に気に留めることもなく通り過ぎただろう。しかしその打ち鳴らされるリズムに身に覚えを感じて、クロノは自転車を止めた。
  少し悩んだ後、自転車を道ばたにおいて鍵をかけ、長い石段を上っていく。
  一段上るごとに、音は大きくなっていった。気分は昨日の月夜のビル。邪魔な光を遮るように、瞳を薄く細める。
  ザッと土を擦るような音。
(踏み込んだ。多分次は……刺突)
  シャっと、木の擦れる音。突きを横にいなされた、切り返し、弾けるような響き、続いて重く大地を踏みしめる音、これは相手の踏み込み音か? おそらく成人男性。鋭く風を切り、また木を打つ音。
  ハッキリと聞こえてくるようになると同時に、クロノの中のイメージも鮮明になっていく。
  そして、石段を登り終えた先に。そのイメージ通りの光景が広がっていた。
  神社の広い境内で、それぞれ両手に木刀を携えた二人の男女が、つむじ風のように絡み合っていた。
  女性―――高町美由希の木刀が左右から弧を描いて男を襲う。半円、螺旋、捻り、波形、弧を弧で繋ぎ、間断なく斬撃が奔り続ける。曲線に終わりはなく、球体がどうあがいても転ぶことがないように、その連撃には一分の隙も有りはしない。
  改めて思い知らされる。彼女は強い。純粋な剣技においてはおそらくシグナム以上の使い手だろう。
  しかしその彼女の猛攻に晒されてなお、男性―――高町恭也に揺るぎはなかった。最小の受けと体裁きで、攻撃を凌ぎ続ける。そして一瞬の隙―――と呼ぶにはあまりに小さい、僅かに大きく膨らんだ弧の一振りに対し、内側に飛び込むように踏み込んだ。逆手に握った左の太刀で攻撃を受け、対の太刀で胴の中心を狙った突きを放つ。
「くっ!」
  体裁きでは間に合わない。美由希が、咄嗟に左の柄頭で突きをたたき落とす。恭也はその代わりとでも言うように、左で受けていた太刀を絡め取るように跳ね上げた。
  太刀はそのまま順手に握り返され、袈裟斬りに美由希を襲う。それを受けようと、美由希が左の太刀を掲げる。その瞬間―――振り下ろされた太刀が奇妙に変化した。いや、変化したと感じた。明確に目に見えたわけではない。ただそう、少しだけ……僅かにその剣が“傾いだ”ように見えた。木刀はそのまま、美由希が掲げた剣と“すれ違って”振り下ろされる。気付いたときには、木刀は、美由希の左の首筋に添えられていた。右上から斜めに振り下ろされたのに、だ。
「あちゃ〜……また“貫かれ”ちゃった……」
  それまでの攻防が嘘の様に、少女の顔に戻った美由紀が大きく肩を落とした。
「受けに余裕がなさ過ぎるんだ、お前は」
  恭也もまた大きく息をついて木刀を下げる。先ほどとは一転、二人の間に流れるのは、どこに出もいる普通の兄妹のものに変わっていた。どうやら、もう出て行っても邪魔にはならなさそうだ。
「うー。恭ちゃんにはまだまだ、かぁ……」
「僕から見れば、美由希さんも十分とんでもないですけどね」
「うん?」
「あ、クロノ君」
  振り返った二人に、どうも、と頭を下げる。その顔を見た恭也は、挨拶に開きかけた口を歪めて、表情の作り方を忘れたように固まった。
「あ〜……どうしたんだ? その顔は……」
「昨日ちょっとありまして……」
  と美由希に目線を送る。あはははーと、恭也の後で彼女は乾いた笑みを浮かべていた。
「……?」
「美由希さーん! こっちのお仕事終わりましたよー……あれ?」
  そこへ、もう一つの声が横からかけられた。昨日聞いたばかりの声で、忘れようもない。奇縁というものは有るものだと思いつつ、これまたどうも、と頭を下げた。
「えっとその……昨日はすいませんでした……」
  美由希とまったく同じようなぎこちない笑顔を浮かべて、女性―――那美も頭を下げる。それとは対照的に、胸に抱かれていた子狐がフー! と牙をむいて威嚇の声を上げていた。
「こら、久遠! ああもう、ホントすいません……」
「いえ大丈夫です。……今日は普通の服装なんですね」
「あはは。さっきまで似たような服着てましたけどねぇ。神社のお仕事で」
「昨日? 那美さん、彼とはもう会っているんですか?」
  そんな二人のやりとりを、横で不思議そうに聞いていた恭也が訪ねた。
「あれ、美由希さんから聞いてませんか? 昨日の夜、美由希さんと……」
「わーわー! 那美さん、それはちょっと……!」
「ほう、昨日の夜。……何があったか、詳しく聞かせて貰えるかな?」
  じっとりと、恭也が美由希を見下ろす。
「いや、その、それは……」
「貰・える・かな?」
「うぅ…………」
  やがて耐えかねたように、美由希はあうっと首を折った。


 
「それで、負けたのか」
  昨日の夜の出来事を聞いた恭也は、開口一番そう言いはなった。
「ま、負けてないってば! 引き分けだよ、引き分け!」
「狭い室内での一騎打ちで引き分けなんぞ、負けも同然だ。その状況で勝てなきゃ、他のどんな状況でも勝てんだろうが」
  今日の夜は覚悟しとけよ、と言う呟きに、美由希は頭を抱えて悲鳴を上げた。
「いや、魔導師相手に生身の人間が対抗できるだけで有り得ないんですが……」
「そ、そうそう有り得ないんだよ!」
  かと思えば、クロノの言葉に乗っかって息を吹き返し、必至に自身の弁護をはかる。
「とはいえ、君ら魔導師は基本遠距離戦がメインだろう」
「それが、なのはとは戦い方が全然違ったんだってば。体術使ってくるし。貫にまで対処してきたんだよ!?」
  それを聞いた瞬間、恭也が僅かに吐息を漏らして興味深げに目を細めた。
  そしてクロノもまた、彼女の口から漏れた一言に興味を引かれていた。

―――貫<ぬき>―――

 その一言で連想されるモノを、彼は確かに昨日見た。まさに“貫かれた”と表現できる、あの一突き。彼女は対処されたといっているが、あの一撃が彼の体めがけて殺すつもりで放たれていたものなら、クロノにはどうする事もできなかっただろう。出来たとして、せいぜい急所をずらすぐらいか。
「“貫”って、昨日最後に落下しながら見せた刺突の事ですよね?」
「え? うんそうだけど……」
「それに……多分さっきの模擬戦で見せた最後の一太刀も」
  問いつつ、恭也に視線を向ける。それを受け止めて、恭也は薄く笑みを浮かべた。
「分かるかい?」
「何となく、ですけどね。出来れば、もう一度見せて貰えませんか?」
  ふむ、恭也が少し考え込む。そうして少し間を置いてから、木刀をくるりと回して握り直し、
「見るよりも、実際に受けてみた方が理解しやすいと思うが?」
  僅かに挑発を含んだ声音で、そう言ってきた。
「それはそうでしょうけどね。生憎、僕は剣術の訓練は受けてませんから」
「じゃあ……」
  と、今度は持っていた木刀を地面に突き立て、右手の甲をこちらに向けてくる。
「無手では?」
  今度は、こちらが考え込む番だった。
  確かに素手での格闘術ならば、クロノも一通り師であるリーゼロッテに叩き込まれている。もちろん、十分実践に耐えうるレベルだ。しかしそれはあくまでも、接近戦に不慣れな魔導師相手を前提にしてのこと。もとより生身での接近戦闘を前提とした訓練を積んでいる彼に、どこまで通用するのか怪しいモノだった。が、
「良いでしょう。それならば―――ご教授願います」
  ここまで言われて引き下がっては、男が廃る。それに、剣だけでなく素手でもあの技術が応用できるというのであれば、なおさら見る価値があるだろう。
  トントンと軽くステップを踏みながら身体をほぐし、クロノは恭也と向き合った。
「ええっと……止めなくて良いんですか?」
「いやまぁ……恭ちゃんもクロノ君も、やっぱり男の子ですよねぇ……」
  そんな二人を横から眺めつつ、女性陣二人と一匹は、地面に座り込んですっかり観戦モードとなっていた。


 握ることなく力を抜いた右手を前に。半身になってクロノは構える。左腕は下げられたまま、格闘技の構えというよりは、何か飛んでくるボールでもつかもうとでもするような、奇妙な構えだった。
  対する恭也は、左半身の割とオーソドックスな構えだ。しかしボクシングの構えのように顎を隠すようにして顔を守るモノではない。左拳を身体の中心に置いて前へ、右腕は緩く腰だめに。
(要するに……相手が武器を持っているという前提の構え、かな)
  敵が刃物を持っていれば、例え顔を守ろうが意味はない。
「……君は、左利きだったか?」
「いえ、右利きですよ」
「ふむ……そうか。取りあえず目突きと金的は無しでいいな」
「ですね。他はまぁ大怪我の無いよう適当に、で」
「ああ」
  それっきり。二人はもう必要ないとばかりに口を閉ざした。
  代わりに交わすのは、視線の応酬。相手の呼吸、重心、僅かな筋肉の動きさえ見逃すまいと、拳よりも先に、その目で相手の身体を射抜き合う。
  そうしていくらの時が過ぎただろう。
―――タンッ
  踏み込みの音は小さく。地面を滑るように恭也が動いた。恭也からは届き、クロノからは届かない、ギリギリの間合いからの伸びるような左の突き。その突きを顔を逸らしてかわし、手首を取るべくクロノは右手を伸ばす。しかしそれは掴んだ瞬間、腕を巻き取るように回転されて、解かれた。
  恭也がいったん距離を取るべく後方に飛ぶ。それを追って、今度はクロノが走った。けん制の突きをいなし、体勢を低くして一気に懐に飛び込む。その瞬間、ゾクリと寒気が走り、クロノは咄嗟に右に身体を傾けた。頬を浅くかすめて、伸び上がるように恭也のつま先が天を突く。
(読まれていた……!)
  おそらく、初めに手首を取りに来た時点で、こちらの戦闘スタイルをある程度把握していたのだろう。しかしそれならばそれで良い。もとより隠し通せるモノでもない。知られ、読まれ、そして回避したその結果として今の状況があるのなら、むしろ僥倖だ。今度はその足を―――取る!
  体勢を崩しながらも手を伸ばす。瞬間―――伸び上がっていた足が、付け根からグルリと回転した。縦から、横に。腰のひねりを伴って放たれるそれは、
(回し蹴り―――!?)
  衝撃が、クロノの側頭部を襲った。


(今のを受けるか……)
  回し蹴りを放った体勢からぐっと地面をふみ締め直し、恭也は胸中で独りごちた。
  今のはいわゆる“貫”と言うわけではないが、その理論の根底に位置する軌道の変化を伴った蹴りだ。生半可な相手であれば、反応することも出来ずに直撃を受けていたはずだ。
  しかしクロノはすぐに立ち上がった。咄嗟にガードしていたのだろう、口の端を僅かに切っていたが、その佇まいにダメージは見られない。
  どうやら本当に、油断してかかれる相手ではないようだと、恭也は気を引き締め直した。
  再度、クロノが突っ込んでくる。同じく、こちらもけん制の左突きを放つ。蹴りを警戒してのことだろう、クロノは今度はその裏を取るように回り込んだ。それを追うように、回転しながら肘打ちを放つ。クロノは小さな体躯をかがめてその下を潜り、ぴったりと脇腹に密着してきた。
  密着状態から鳩尾めがけて放たれる拳。それをどうにか右手で受け止め、拳を包むように握り込むと、恭也は左肘を打ち下ろす。しかし、殆どしゃがみ込むような体勢にまで腰を落としたクロノに、あえなく空を切った。
(ッ―――本当に戦い慣れている……やり難い)
  本来圧倒的に不利であるはずの、体格の小ささ。その欠点を利点に変える動きを、この少年は身体に染み付かせている。
  密着状態では、こちらが不利だ。いったん距離を取らなければ、向こうのペースに持って行かれる。そう思い引いた左足が、ピンと何かに引っかかったように止まった。困惑に、視線を下げる。
  ずっと下げられたままだった少年の左手。その指が彼の靴紐を摘んでいた。そのまま、力を込めて引かれる。
「ッ―――!?」
  咄嗟に体勢を崩されまいと足に力を込める。しかしそれを予測していたように、絶妙のタイミングで紐が放された。力を殺しきれず、後方に身体が泳ぐ。何とか靴底を地面に付けることは出来たが、紐を解かれた靴ではロクに踏ん張れる筈もない。左足がズルリと滑る。
  その恭也を追って―――今度こそクロノの拳が恭也の腹部を捕らえた。
「がっ!!」
  息が詰まる。鈍く染み渡るような痛み。しかし意識を持って行かれるほどのものでは、到底無い。インパクトの瞬間に右足で飛んで衝撃をいなしていたから、と言うのも勿論あるだろうが、それ以上にこれが少年の小さな体躯で繰り出せる限界なのだろう。本人もそれを理解しているはずだ。故に本命は―――この崩しから続く関節。
  クロノの右手が恭也の右腕を掴み、捻り上げる。恭也はそれに合わせるように、自ら空中で身体を回転させ、関節の回る余地を拡げた。そうなればもはやクロノ技に意味はなく、無駄に腕を捻って防御を手放しただけに過ぎない。その無防備な首筋に、身体を回転させた勢いのまま、恭也は左足を叩き込んだ。
  クロノが退き、手を放す。とはいえ苦し紛れに放った蹴りに、それほどの威力はない。恭也は受け身を取り、すぐさま起き上がって距離を取った。
「つぅ……。どういう身体能力してるんですか、貴方は」
  蹴られた首を撫でつつ、クロノが毒づく。
「君こそ。まさか、靴紐を狙われるとは思わなかった」
  外法の剣術として磨き上げられてきた御神の技には、一般の試合では使うことの出来ない、いわゆる裏技と呼ばれるモノも多い。しかしその中にも、あの様な技はなかった。
  それも、御神流という武術が今よりもずっと古くに完成され、現在はその完成系が子孫に受け継がれているという状態になっているからだ。靴紐などと言う概念が日本に生まれたのは近代になってからであり、そんな技が加えられる余地もない。自分で考え出すしかないのだ。そして恭也は御神の技こそ習っているものの、実戦経験は片手で数えられるほどしかない。
  しかし、目の前の少年は違う。
「まいったな。予想はしていたが……戦う者として、君は俺よりもずっと先にいるようだ」
  幾多の実践を重ね、苦境を乗り越える策として築きあげてきたいくつもの手段の一つが、今のものなのだろう。
「どうですかね……。今のをやると、割と格上の相手でも何とかなってたんですけど。それをこうもあっさり返されると、ね……」
  やれやれと息をつき、首を振る。しかしそうしている間にも、意識は突き刺すようにこちらに向けられている。
  靴紐を結び直す余裕はないな、と恭也は両足とも靴を脱ぎ捨てた。
「さて、まぁ。続きと行こうか……」
  言葉と共に、二人は構えを取り直した。

 そしてきっかり二分後。
(貫かれた……)
  胸に強打を受け、クロノは大の字になってひっくり返っていた。その彼の身体に、久遠がせっせかせっせかと後ろ足で砂をかけている。いい気味だと言わんばかりだ。
(いやまぁ、分かってたことだけど……。無理。あれは無理……)
  いかな絡め手、奇策を尽くそうとも、流石にこの自力の差を埋めるには足りなかったようだ。こちらのやり方にも慣れてきたのか、後半は完全に手玉に取られていた感じだった。
「っと、すまん。加減が出来なかった……」
「恭ちゃん、やり過ぎー!」
「いや、とはいえ下手に手を抜ける相手でもなかったしだな……」
「いえ……大丈夫です」
  むくりと身体を起こし、身体にかけられた砂を払う。すると久遠は、今度はクロノの足下に移動して砂をかけ出した。本当に、よっぽど嫌われているらしい。
「それで、貫は理解できたかな?」
「ええまぁ、何となく。要するに、フェイントと本命を一撃で済ませるわけですか」
「まぁ、平たくいえばそんなところだな」
  いいながら恭也が、先ほどの最後に見せた突きを、ゆっくりと再現する。
「重要なのは、手首、ないし肘の回転による軌道の変化と、相手の動きを読んで、受けを固定させることだ。剣なら手首、無手なら肘から先を曲げた状態で肘を回転させれば分かるが、これだけ拳の位置が移動する。この回転を攻撃の最中に行って軌道を変化させ、相手の防御の隙間を―――貫く! とはいえ、あまり大きな回転で無茶な変化をさせれば関節を壊すからな。相手の動きを読んで合わせ、僅かな変化で隙間を突ける、そんな理想的な受けに相手を誘導することが必要になってくる。とまぁ……口で言えば簡単なんだがな。実際にやるとなると、生半可な事じゃない」
「でしょうね。実際にそんな思考をしてる暇は一秒もないでしょうから。そこに至る過程を、感覚で覚えるしかないわけですか」
「そう言うことだ」
「……けど良いんですか? 赤の他人に、そんなほいほい教えても」
  立ち上がりつつ、ふと思い立った疑問を問いかける。
  恭也は僅かに苦笑を浮かべ、視線を逸らした。
「構わないさ。もう御神の剣が裏で振るわれるようなことは、多分ほとんど無いだろうからな……」
  その言葉の裏にどういった事情があるのか。興味はあったものの、流石にそこまで聞ける立場ではない。代わりに、クロノは足下へ視線を落とした。
「で……お前は一体、いつまでそうしている気だ」
  彼の足下で、未だに砂をかけ続けていた狐を摘み上げる。
  するとすかさず、フシャーとか言いつつ彼の指に噛みついてきた。
「いてっ」
  フー! がじがじがじがじ。ケッケッケッケッ!
  あまつさえ手にしがみついたまま後ろ足でこっちの腕を蹴ってくる始末だ。もはやどうあっても和解でき無さそうだと、諦めを含んだ視線でクロノはそれを眺めていた。
「あー! もう、久遠、いい加減にしなさい!」
  流石に見かねたのか、久遠を引っぺがそうと那美が腕を伸ばす。しかし久遠は断固放すまいかと爪を立ててしがみついており、迂闊に引っ張ろうものなら思いっきり肌に傷を付けそうな勢いだった。
「なんでクロノさんにだけはそうなのよぉ……」
  ちょっぴり涙目になりつつ那美が肩を落とす。なんでってまぁ、おそらくクロノを敵と認識しているからであろうが。
「というか……珍しいな。久遠がここまで他人に敵意を向けるのは」
  ガジガジガジガジガジガジ、フー、キシャー!
「人見知りはするけどねぇ……。ある意味、打ち解けてる?」
「これが打ち解けてるって表現できるなら、世界は極めて平和でしょうね」
  深〜くため息をつく。そりゃまぁ、確かに間違えてバインドをかけた事は悪かったと思うが、ここまで敵意を向けなくても良いだろうに。
  もしかしたら、強化魔法を解除するストラグルバインドの特性で、久遠のような魔法生物にはものすごい不快感を与えるのかも知れない。そういえば、リーゼ姉妹にかけたときもやたら唸ってたし。
  ふと、久遠による噛み付きが止んでいることに気付いた。はて、いい加減飽きてくれたのだろうかと目を向ける。久遠はクロノの腕にしがみついたまま、妙に至福そうに目を細め、プルプルと身を震わせて―――というか、さっきから足にかかっているこの生温い湿った感触はなんだろう?
「って、うわぁぁぁぁあああ!!?」
「く、久遠何してるのぉぉぉおお!?」
  盛大に悲鳴を上げ、反射的にクロノは久遠を放り投げた。
  ぽーんと高く、放物線を描いて久遠が飛んでいく。それをキャッチしようとあわわわーとか言いながら那美が追いかけるが、途中でべしょっと転んだ。とうの久遠は、クルクルと回転しながらシュタッと実に見事に着地している。
「……久遠、あんなに俊敏な動き出来たっけ?」
「さぁ……。闘争本能を刺激されて、野生を取り戻したんじゃないか?」
  そんな阿鼻叫喚の図の中で、高町兄妹はどこまでも落ち着いていた。取りあえずといった感じで、恭也が那美の元に、美由希がクロノの側へとそれぞれ向かっていく。
「ええっと……大丈夫?」
「ふぇ……フェイトに選んで貰った服が……」
  美由希の問いに答えることも出来ず、わなわなと震えながら小便にぬれた服を見下ろすクロノ。
  キッと顔を上げ、久遠を睨みやる。子狐は少し離れた場所で、実にすました感じに尻尾を振っていた。咄嗟に駆け出しそうになる身体をグッと押さえる。
  落ち着け、動物のやることにいちいち腹を立ててどうする、洗えばいい事じゃないか、大人だ、大人の対応だ、と言うか理性だ、今こそ人間様の理性をあの獣に見せるべきだ。
  ギリギリギリギリギリギリ……。怒りを歯ぎしりで磨り潰し、どうにかこうにか堪えきる。
「と、取りあえずウチに来よう。ここからならウチの方が近いし、お風呂と着替えも貸すから……ね?」
  クロノの形相にどん引きしつつ、美由希は何とかこの場を収めようとそう提案したのだった。それが、さらなる闘争を巻き起こすになるとも知らずに……。

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