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リリカルD!!(1/3)
頬に風を受けつつ、ゆったりとペダルを漕ぐ。
春も半ば。柔らかな日差しと涼やかな風の吹く今日は、絶好の外出日和だった。
とはいえ、彼―――クロノには特に目的地があるわけではない。あえて言うならば、こうして自転車に乗って町中を走ること自体が目的だった。
5歳の頃より魔法訓練を受け、11歳で時空管理局執務官試験に合格。以来、ずっと仕事一筋に打ち込んできた彼だったが、この海鳴市にきて初めて持った趣味らしい趣味が、このサイクリングだった。
十代半ばの少年が持つ趣味としては、何とも地味なものだが、それは彼の性分として仕方がないのだろう。
まぁ実際、この趣味は実に彼に適したものなのだ。
時空管理局の仕事に追われ、不定期にしか休みの取れない彼では、何か深くのめり込むようなものや、下準備の居る大がかりな趣味などは持つことは出来ない。
部屋でゆっくり読書、という選択もあるのだが、彼が好んで読むものは魔導やデバイスに関する技術書や、専門書の類である。そんなものを休日に読んでいるところを見付かれば、「休みの日ぐらい仕事から離れんかー!」とエイミィにどつかれる事必至である。
それならばと、仕事も魔導のことも忘れ、屋上で黙々と筋トレに励んでいた事もあるのだが、それを見つけた義妹は非常に複雑な表情を浮かべ、彼に一言「何か……クロノ、逆に不健康っぽいよ……」と、遠慮がちに述べてくれたのだった。その後、ショックに立ち直れずふて寝したのは苦い思い出である。
そうした紆余曲折を経て、たどり着いたのがサイクリングだった。
ミッドチルダにはない、原始的ではあるが極めてエコロジカルな―――何せ人力だ。恐れ入る―――自転車という乗り物を用いた散策活動。
天気さえよければ特に準備も時間もいらずすることが出来、適度に体を動かしつつもゆったりとした気分を味わえる。異世界の街並みというのは、横目で眺めているだけでそれなりに楽しいものだったし、海に面したこの街は、実に風が気持ちいい。楽しみつつも、心と体を休ませることが出来る実にすばらしい趣味だ、と彼は疑っていなかった。
なだらかな坂道を駆け下りると、少し先に交差点が見えた。
さてどうしよう、と記憶をたどる。少し考えた後、クロノは左にハンドルを切った。こう言うときはなるべく今まで行ったこと無い方向を選ぶようにしていた。
しばらく平坦な道をそのまま進む。と、
「なにやってんだ? お前」
横合いから掛けられた聞き覚えのある声に、クロノは自転車を止めた。
「ヴィータ? 君こそ何を……」
振り返ったクロノはそこで言葉を止め、彼女の姿に眉をしかめた。
とはいえ、別に彼女の服装がどうとか言うわけではない。ショートパンツにTシャツというヴィータらしいラフな格好だ。プラスチックの棒の先に付いた飴玉を口の中でコロコロ転がしているのも、まぁ少々だらしなくはあるが、彼女ぐらいの年頃なら普通だろう。問題は、その肩に担がれた物である。
「グラーフアイゼンを気安くハンマーフォルムで持ち歩くんじゃない」
「良いじゃねぇかよちょっとぐらい。ゲートボールスティックの代用品だよ、だいよーひん。通りがかったら、じーちゃんたちに急に誘われちまってさぁ」
クロノの苦言に悪びれたそぶりも見せず、ヴィータは担いでいたグラーフアイゼンをくるりと回して待機フォルムへと変えた。その様子に、彼は諦めたようにため息をつく。
すでに裁判は済み、実刑に問われなかったとはいえ、一応彼女は保護観察中の身の上なのだ。そして、自分は監視役の一人である。その素行に何か問題があれば、上に報告しなければならない立場にいるのだ。
その事を、分かっているのかいないのか。まぁ、おそらくは……
(分かってて、これなんだろうな……)
その見かけや言動とは裏腹に、物事を冷静に判断する力を彼女は持っている。おそらく上記のことを理解した上で、クロノ相手なら少々は問題ない、と判断しているのだろう。
その事を、『気を許されている』と見るか『舐められている』と見るかは―――正直判断の微妙なところだった。あるいは両方か。
「以後気をつけるように。次見かけたら、厳重注意だからな」
「へーへー。それよりさ、それ自転車ってやつだろ? お前のか?」
「ん? まぁ、そうだが……」
クロノの返答に、ヴィータは近づいてくると、「へ〜。ほ〜」と何度も呟きながら、まるで獣が獲物を追い込むようにグルグル回って観察しだした。
得に何の変哲もない、カゴと荷台の付いた黒い自転車なのだが、興味津々と言った様子である。そう言えば、と思い出す。
(はやての所には、自転車は無かったな)
まぁはやて本人が自転車に乗ることが出来ないのだから、当然と言えば当然だ。
おそらく、近所の子供達が自転車に乗っているのを見て気になっていた―――あるいは、羨ましく思っていたのだろう。
彼女のそんな姿に、ふむ……、とクロノは少し考え込んだ後、
「……乗ってみるか?」
「マジか!?」
何気なく口を出た問いに顔を上げたヴィータの顔は、見た目相応の実に子供らしいものだった。
「ホントに支えなくていいのか?」
公園内。自転車をヴィータに預けたクロノは、怪訝そうな顔でそう訪ねた。
「いいっつってんだろー。なのはじゃねぇんだから、こんぐらい楽勝だってーの」
「まぁ確かに、なのはと君とでは比べるべくもないだろうが……」
ヴィータの言葉に、クロノは躊躇しつつも同意した。『魔力量の巨大さと反比例している』ともっぱら噂のなのはの運動神経欠如っぷりは、アースラ内でも有名であった。そんな彼女と、仮にも接近戦を主体とするベルカ騎士のヴィータとでは、そりゃあ比べる方が可哀想ではある。
「しかし、足がとどかないだろう」
「うるせー! そんなん、バッと勢い付けて乗りゃあ良いだけだろ。いいから見てろっての」
クロノの冷静な指摘にも、ヴィータは噛みつくように拒絶するだけだ。
もはや何を言っても無駄か。肩を竦め、彼女と自転車から一歩引いて様子を見守る。
そんなクロノをよそに、ヴィータはペダルに片足を掛け、タイミングを計るように肩を揺らしてから勢いよく地面を蹴り―――
「よッ……」
―――そのまま反対側に倒れこんだ。
「ぶぎゃ!」
「……ほら見ろ。言わんこっちゃない」
「ぐっ……! い、今のはちょっと失敗しただけだ! 次こそ……」
ガバッと立ち上がったかと思うと、すぐさま自転車を起こし、また飛び乗る。
「うりゃ! と……ほ……うべっ!」
今度は一瞬だけバランスを取っていたようだが、やはり同じように横転した。
「受け身ぐらい取れ……」
今の顔面からいったなー、とか思いつつクロノはヴィータを助け起こした。
「うぐぐ……もう一回! もう一回だ!」
「補助は?」
「いらねえ!」
クロノの手を振り払い、ヴィータは再度自転車に挑む。
完全にムキになっているようだ。自分で懲りるまで、もはや何を言っても無駄だろう。
「……この辺に薬局はあったかな」
ここでぼけっと眺めていても仕方ない。
ヴィータの悲鳴やら雄叫びやらを背後に聞き流しつつ、クロノは傷薬と絆創膏を求めて公園を後にした。
傷口に吹きかけられた消毒液が、シュワシュワと音を立てて泡だった。
「いぃっ―――! つ……ちょ、もっと優しくしろよ!?」
「やかましい、じっとしてろ。騎士の名が泣くぞ?」
涙目で訴えかけるヴィータに、膝小僧に絆創膏を貼りつつクロノが返す。
続いて肘、鼻の頭と同様に消毒をすませ、絆創膏を貼っていく。程なく治療を終えたヴィータの姿を見て、ふむ、と彼は顎に手を当てた。
「……まるでガキ大将だな」
得に、鼻に張られた絆創膏がポイントだ。
「うるせぇ! てーか、お前治癒魔法使えんだから、魔法で治しゃいいじゃねぇかよっ」
「あれは、矛盾するようだが体に悪い。このくらいの傷なら、自然治癒に任せるのが一番だ」
確かにこのくらいの傷なら、魔法で新陳代謝を早めてあっという間に治してしまえるだろう。だが、それは同時に体に負担を掛けることにもなる。極めて低い確率だが、体が拒絶反応を起こして大事に至る場合もあるのだ。得に必要がない場合は、治癒魔法は使わないに越したことはない。
「うー! 相変わらず理屈っぽい奴だなてめぇは……」
「理屈じゃなく、一般常識だ。……で。いい加減、補助を受ける気になったか?」
その問いかけに、ヴィータは俯くと、若干顔を赤らめながらももじもじと口を開いた。
「お……お前の補助を受ければ……お前が支えてくれれば……ほ、ホントに自転車…に…乗れるようになるのか……?」
「ああ」
「だが断る!!」
「では、これ以上自転車を傷つけれらる前に僕は帰るとしよう」
「ああああ待て待て待て!」
自転車を押し、問答無用で帰宅しようとするクロノを、腰のベルトを掴んで必至に引き留める。
ズリズリズリと5メートルほどヴィータを引きずったところで、クロノはようやく足を止めた。
「補助、を、受けるな?」
「……はい」
ようやく素直になったか、とクロノはため息をついた。
「それじゃあ僕が荷台を持って支えてるから、乗ってみろ」
「お、おう」
妙に真剣に頷いて、ヴィータはサドルに跨った。
「押すぞ? とりあえず、ハンドルはあまり動かしすぎないようにな」
「お、おおおっ?」
「ほら、自分でもペダルを漕げ」
「わ、わぁってるよ!」
ノロノロヨタヨタと、実に頼りない感じで自転車が進んでいく。
初めは、わーわーぎゃーぎゃーとやかましかったヴィータだが、次第になれてきたのだろう危なげなくバランスを取りだした。それにあわせ、クロノもスピードを上げていく。
「……そろそろ良いか。放すぞ?」
「へ?」
「手を放すぞと言ったんだ」
「ま、マジでか!?」
「マジだ。心配しなくていい、骨は拾ってやる。いいか、ペダルを漕ぎ続けろよ。いち、にの―――」
「ちょ、まっ」
「―――さん!」
言うと同時に、手を放す。
「うおあっ―――とっ……!」
車体がよろけたのは一瞬だけだった。
すぐさまヴィータは力強くペダルを漕ぎ、体勢を立て直す。そこまでくれば、後はもう何の問題もなかった。
「お……おお? 乗れてる? これ乗れてね?」
「……流石だな」
すっかり慣れた様子で公園内を走るその姿を眺め、感嘆と共に苦笑を漏らした。
補助があったとはいえ、ただの一度でそう簡単に乗れるようなものでもない。鍛えられた運動神経と、恐怖心をはね除ける彼女らしい思い切りの良さが有ればこそだろう。
「僕も、乗るのには割と手こずったんだがなぁ……」
彼自身も、自転車に乗れるようになったのは最近のことだ。少し前の、公園で悪戦苦闘していた自分を思い出すと、少々複雑な気分だった。まったく、彼女しかり、なのはやフェイト達しかり、自分の周りは優秀な女の子達ばかりだ。
しかしまぁ、
「すげー! おもしれー!」
「……こうして見ている分には、微笑ましい子供でしかないな」
あそこまで楽しげにはしゃがれては、自分のよこしまな感情もアッサリと融けて消えてしまう。
ヴィータはよほど楽しいのだろう、公園の中を一通り回ると、今度は公園の外へと出ていった。それを、ベンチに座って穏やかに見送り―――そのまま五分経ち、十分経ち、
「……って、どこまで行ってるんだあいつは!?」
三十分経って、クロノはようやく自転車を持ち逃げされたことに気づいた。
その日から、クロノの自転車はヴィータ専用機として徴収され、赤く塗装される事となった。