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■二次創作小説
 /魔法少女リリカルなのは
  / 海鳴市での
      奇抜な休日シリーズ

  ・月 牙 美 刃

 

 




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 月 牙 美 刃


「いくらなんでも、買いすぎじゃないのか……?」
「そんな事ないよ。全部必要なものだし」
  夕暮れに染まる街の中。
  長く伸びた影のお供を引き連れて軽い足取りで歩いていく義妹の後ろを、グッタリと背中を丸めたクロノがついて行く。
  その両手にはこれでもかという量の買い物袋を下げており、お嬢様に仕える従者さながらの妙にみすぼらしい哀愁を漂わせていた。
「まさか、本当に一日中買い物に振り回されるとは思わなかった……」
「だって約束だったし……。クロノに、文句言う権利はないんだからね」
「分かっているさ……」
  唇を尖らせ、少しだけ不機嫌そうに言うフェイトに、苦笑いを浮かべつつ返す。
  先日少しばかりフェイトの不興を買うような事をしでかしてしまい、今日はその償いにと買い物に付き合っていたのだが……彼女もしっかりと女の子なのだということを、クロノはまだ正確に理解できていなかったらしい。
  朝、丁度デパートが開店する時間に合わせて家を出て、そこからひたすらローラー大作戦の如く店内を隅から隅まで、だ。それが終われば今度は駅前の商店街に出向いて同じように回り、最後はスーパーによって食材の買いだめを済ませて今に至るというわけである。
  以前にも一度、フェイトの買い物に付き合った事があったが、ここまで引き回されはしなかった。その時はまだ、遠慮でもあったのだろうか。だとすれば、それだけうち解けることが出来たと言うことで、その辺は喜んで良いのかもしれないが……まぁ、とにかく疲労困憊であった。
  幸い今回は珍しい連休だ。明日はゆっくりと体を休めるとしよう。そう思い、気持ちを切り替えようとしたところで。
「……」
  不意に、クロノは立ち止まった。
「クロノ? ……どうかした?」
  少し先を進んでいたフェイトが彼の様子に気付き振り返る。
「いや……」
  短く返し、クロノは何かを探すように辺りを見回す。心なしか、その表情に険しい物が伺えた。やがて、その視線が遠く一点の建物を捕らえる。
「……フェイト。あそこに見える建物、いったことあるか?」
「あの廃ビル? ううん、無いけど」
「なのは達が良く行くとか、そう言う話しは?」
「そんなの聞いたこと無いよ。アリサ達と、気味悪いねって話してたことはあるけど」
「そうか」
  それだけ聞くと、また歩みを再開するクロノ。
  そんな彼を、フェイトは不思議そうに眺めて首を傾げていた。

 今日はリンディが仕事で居ないため、夕飯はフェイトが作った。まだ最近料理を覚え始めたばかりなので、見た目は少々不格好ではあったが、味はそれほど悪くはなかった。
  少なくとも、自分の作る大味な料理よりかは余程いいと、クロノには思えた。アルフを交えた、三人の食事。この世界のテレビ番組を見ながら、クロノが耳慣れない文化や芸能人のことを訪ねると、学校で聞きかじったらしき知識をフェイトが少しだけ得意そうに語る。そんないつも通りの、食事風景が過ぎて。
  日が落ちた。
  薄ぼんやりとした月明かりの下。上着のジッパーを襟元まで閉めながら、マンションから出て駐輪場に向かう。
「流石にこの時間だと少し寒いな……」
  春とはいえ、やはり夜は若干冷え込む。この国は季節によって様々な気候に移り変わるらしいから、もう少しすれば暖かくなるのかもしれないが、今それを望んでも詮無いことだ。
  一瞬だけブルリと身を震わせ、クロノは自らの愛車に手を掛けた。ダイヤル錠のチェーンを外し、音もなくサドルに跨ると、後ろ髪を引かれるように影ノッポのマンションを振り仰ぐ。
  出る前に確認した限りではフェイトとアルフは既に寝入っており、それを肯定するように彼らの住んでいる一室は暗く沈んでいた。幸いこっそり出てきたことは、気付かれていないようである。
「まぁ、気付かれたら気付かれたで、コンビニに行ってたとでもいえばいいか」
  多少の後ろめたさを覚えながらも、クロノは自転車をこぎ出した。
  夜中の住宅街は静かで人通りもなく、車輪の音がやけに耳に付く。カラカラと回る音色と、クルクルと後方に流れていく影絵の街。のっぺりと奥行きのない紙芝居のような風景。何故だか妙に現実味が希薄で、夢でも見ているような感覚だった。
  そう言えば夜の街を走るのは初めてだったな、と今更ながらに思い出す。奇妙な感覚はそのためだろうか。どちらにしろ、錯覚だろう。気にしていても仕方がない。
  やがて十分ほど自転車で走り続けて。クロノは昼間フェイトに訪ねた廃ビルの前に来ていた。
  愛車を側の電柱に立てかけ、チェーンを巻いてからビルを見上げる。とはいえ、見て分かるものでもない。むしろ視覚は邪魔かと、クロノは目を閉じた。暗がりから闇へ。僅かばかりに鋭敏になった肌を刺す夜風と、そして、
「……やっぱりだ。僅かに。ほんの少しだけど……魔力反応がある」
  本当に小さな小さな、魔力の流れ。魔力自体が小さいというよりは、なにか隙間から漏れ出ているといった感じか。ユラユラと瞬くように、反応と消失を繰り返している。魔導師としての訓練を受けている者でも、この程度の反応ではそうそう気づけないだろう。事実、フェイトも気づいていなかった。
「まぁ、ここがミッドチルダなら、気に掛ける必要も無いんだろうが」
  しかしここはミッドチルダではなく、地球だ。なのはやはやて、それにこの間のカラスという例外もいるが、基本的にこの世界の生物は魔力を有していない。こういった時空管理局の管理外世界に、犯罪を犯した魔導師が逃げ込むというのは良くある話しだ。それにこの魔力反応はどこかで……
「どこかで、身に覚えがあるんだ。小さすぎて、判別が付かないけれど……」
  呟き、S2Uを起動、同時にバリアジャケットを展開。網のように光糸が織りなし、彼の体に巻き付いていく。
  黒いコートをたなびかせ。少年は管理局執務官へと自身を切り替え。その敷地へと一歩を踏み出した。


 コツリ、コツリと。
  あえて隠すこともなく、足音を響かせてクロノは廃ビルの中を進んでいく。
  何者かがここに隠れ潜んでいるのならば、なにがしかの反応を示してくれた方がむしろ面倒が無くていい。それが罠であれ、逃亡であれだ。どのような手段を相手がとろうとも、彼に見逃すつもりはなかった。
―――ギィィ……
  と、そんなクロノの挑発に答えるように、頭上、上の階のどこかで扉の軋む音が響いた。
「……相手も肝が据わっている、ってことか」
  少しだけ立ち止まった後―――クロノは階段を上っていった。
  意識を広く、しかし密度を薄めることなく。いかな事態にも対応できるよう警戒をしながらも力みを抜き、一歩一歩ゆっくりと歩を進める。やがて三階まで上がったところで、今度はバタンと重たく扉の閉まる音が響いた。
「……部屋に来い、か。にしても、何か妙に芝居くさいな」
  そう言うのが好きな人間なのだろうか? 漫画とか小説とか。ならば少々毒され過ぎである。
  まぁ、見知らぬ人間の趣味を詮索しても仕方がない。お相手は、どうやら真正面からの対決がお望みらしい。ならばそれに答えないわけにはいかないだろう。彼自身も望むところではある。
  廊下を歩き、一つ、二つと扉の前を過ぎていく。そうして、五つ目の扉の前で、クロノは足を止めた。
「…………」
  僅かに滲み出る、人の気配。この扉の向こうに、誰かが居る。それは確実。ただ一つ気がかりなのは、人の気配がするだけで、魔力反応がまったく感じられないことだ。それほど技術の高い魔導師なのか、もしくはもう一人別の魔導師が居るのか。
  はたして。その疑問を明確にすべく、クロノは扉に手を掛けた。
  この扉を開けた後に起こりえるであろう展開を思いつく限り頭でシミュレートし、対処法を揃えていく。S2Uを握りしめる。問題は、無い。
―――ガチャリ
  覚悟と共に、押し開かれた扉の先に。
  何をするでもなく、ただその人物はたたずんでいた。
  影に塗りつぶされた細身の身体。顔は分からないが、成人男性と比べればやや小柄か。だらりと下げられたその両手には―――三日月が移り込んだかのように鈍く輝く二対の、小太刀。
  それを目にした瞬間、クロノの背筋にゾワリと寒気が走った。恐怖、危機感、僅かな殺気。警戒心に弾かれ、反射的にS2Uを構える。
  その動作とまったく同時に影が奔り―――月明かりが雲に覆われた。


 瞬きの直後に、影は既に間合いギリギリの所にまで詰め寄って来ていた。
―――速い!
『Stinger―――
  こちらとて、自身の考え得る限り最速で魔術行程を踏破している。一片の無駄もない処理、自身の持つ手札においてもっとも発射速度に優れた魔法。
  しかしそれでも、この相手には後を追わされている!
  白銀が闇を切り取り、突き付けていた杖が上に弾かれた。後に控えるのは右の対刀。既に、退くことすら間に合わない。
―――Ray!』
  故にクロノは、杖の弾かれた先、頭上へと構わず魔力弾を放った。
「ッ!」
  相手の、息を呑む声が聞こえた。
  破砕音と共に、二人の上へ崩れ落ちてくる天井の瓦礫。咄嗟に後退しようとする相手に対し、クロノは逆に瓦礫に身を晒すが如く一歩踏み込み、左手を突き出す。
『Round Shield』
  言わばそれは瓦礫を利用したフェイントだ。落ちてくるはずの石は障壁に阻まれ、無駄な後退をした相手はその身に掌打を受けて吹き飛ぶ。
  ジンと、クロノの手に痺れが奔った。
(今のタイミングで……受けられるか!)
  どうやら剣の柄で受け止められたらしい。派手に吹き飛んだように見えたのも、ただ衝撃をいなされただけ。もとよりクロノの小さな体躯に、人を吹き飛ばすほどの膂力はないのだ。
  しかしそれでも間合いは稼げた。クロノは次なる魔法プログラムを起動させつつ、その間合いをさらに広げるべく後方に飛ぶ。その間を与えるかと影絵が走る。
  そのタイミングを見計らい、クロノは維持していた障壁を消失させた。遮られていた瓦礫が、敵の行く手を阻むように再度落下してくる。その隙に魔法を―――発動できるはずだった。
  低く、低く。走狗のように影の身が沈む。
(さっきよりも、さらに―――!?)
  驚嘆すべき速度で、敵は瓦礫の下をくぐり抜けてきた。相変わらず魔力反応は欠片もない。魔法を使わず、純粋な身体能力のみでのこの速度。それはいかな脚力のなせる業か。執務官として幾多の戦いを潜り抜けてきた彼にも、こんな敵を相手にしたことは皆無だった。
  しかし、彼には驚きも、危機感すらも感じている暇はなかった。地面スレスレから突き上げる左の刺突。真っ暗闇の部屋の中において、それはたった一筋の星明かりの様。ただし、魅入れば死を招く凶星だが。
  横に避けようとする思考。だがそれに叛する様に、クロノの足は右斜め前方へと踏み込んでいた。疑問と自答。何故自分は自ら崖に足を踏み入れるような真似をしているのか。本当に光りに魅入らされた? 刀身の放つ白光が左目を焼く。その眩しさから逃れるために、彼は顔を捻った。紙一重、目の下を浅く裂いて、刃が突き抜ける。
  行動の理解は後から付いてきた。突き出された剣が、彼の後を追うように横に薙ぎ払われる。真横に避けていれば、その切り返しで勝負は決していただろう。要するに、前方にしか彼の逃げ道は存在しなかったと言うこと。さらに言うならば、ここは、剣の間合いのさらに内側だ。
  命を晒した戦いの最中、奇妙にも背中合わせの状態で密着する二人。
  ふと、振り向こうとした視界の端に。丁寧に編み込まれた長い黒髪が、ぼんやりと映った。
(女性……?)
  確認する暇もなく、相手の体が回転し、闇に溶けて消える。
―――ガッ!
  二人まったく同時、振り向き様に放った肘同士が、ぶつかり合った。
「痛ぁッ」
  相手の小さな悲鳴。こちらも衝撃に、思わずよろめく。バリアジャケットに保護されているせいでそれほどダメージはなかったが、それでも軽い痺れが残る。対する相手は、
「くっ……」
  片方の剣を取り落とし、左腕をだらりと下げて苦悶を漏らしていた。
  やはりこの敵は魔道師ではない。生身の人間だ。しかし、だからといって油断をして良い相手では決してない。待機させておいた魔法を起動させ、杖を振るう。
『Stinger Snipe!』
  至近距離から放たれる、高速の魔力弾。普通の人間では視認すら困難な攻撃を、それでも敵は身を捻って交わす。だが、そんな結果は百も承知だ。
  ギュン、と光弾が小さく渦を巻き、回転によりさらなる加速を伴って背後から影を強襲する。相手が気付き振り返るが、もう遅い。先ほどの回避により体勢を崩しているため、もはや交わすことは不可能だ。加え、“Stinger Snipe”は特性上、鉄甲冑の魔導人形すら貫く貫通力を持つ。防ぐ手だては、無い。
―――それを。どう表現すればいいのか。
  そんなはずはないのに、酷く緩慢な動きに思えた。ゆったりと、優雅ささえ伴って。飛来する光弾の軌跡に、剣の腹が添えられる。コンマの世界。瞬きの一瞬。剣はただ優しく、赤子でもあやすようにそっと―――凶弾を撫でた。
  摩擦音すらなく、不可避の光弾が影を逸れる。
(嘘……だろう?)
  戦いも忘れ、呆然と立ちつくす。もはや驚きよりも、否定したい気持ちの方が強かった。あのようなこと、この目で見ても到底信じられる物ではない。それこそ、魔法でも見せられたかのようだ。ここは、夢か、現か?
  彼の目を覚ますべく、影が舞う。考えるよりも先に、身体が動いた。
―――ギィィンッ!
「くあっ……!」
  速く、重い横凪の一撃をS2Uで受け止めるものの、踏ん張りきれなかった身体が横によれる。横から縦へ、間を置かず切り替えされる斬撃。その二撃目で、完全にクロノは体勢を崩され、膝を付いた。
(駄目だ、次は受けきれないッ)
  防御魔法も間に合わない。そもそも膝を付いたこの状況で、一撃を凌いだとして何になるというのか。続く太刀で防御の隙間を抜かれて終わりだ。
  その判断を下した瞬間、クロノは意識を別けた。自分の身体とは別にもう一つ、その背後で自動制御により渦を巻いていた存在へと繋ぐ。予測、演算。
  白刃と蒼弾が同時に弧を描いて奔る。
―――パァン!
  二人の中心で、光が散った。武器の破砕を免れるため、衝突の直前に力を抜いたのであろう。必要以上に大きく弾かれた剣。しかし、それを次なる一撃の予備動作と換え、影の身体がコマのように回った。
  S2Uと連結されたクロノの頭の中で、目まぐるしく数式が駆け巡る。光弾がまたも、鋭く弧を描いた。
  咲き乱れる光の連弾。
  白光、蒼炎、二色の帯がそれぞれの身体を軸に嵐の如く駆け回り、幾度となく衝突を繰り返す。
  閃光裂破。狂騒乱舞。精錬された演舞の如く、二人は互いに一歩も退かぬ応酬を続ける。
「ハッ、ハッ、アッ、カッ、ハッ!!」
  しかし、追い詰められているのは自分の方だと、クロノは理解していた。
  酸素を求め、喘ぐように呼吸を繰り返す。閉じることを忘れた瞳は血走り、膨大な終わり無き数式を解き続ける脳は、今にも焼け付きそうだ。
  それも当然のこと。いくら操作性に優れた“Stinger Snipe”といえど、こんな用途は想定されていない。いや、そもそも想定されている魔法など存在しないだろう。こんな近距離感で縦横無尽に繰り出される斬撃を、誘導操作を用いて迎撃し続けるなどと。正気の沙汰ではない。おまけに、平行して別の処理も行っているのだ。
(まだ……かッ)
  地面に手を付いたまま、幾度目かの自問を繰り返す。焦る思考と、押さえつけようとする意志。
(落ち着け、まだだ、まだ持つ……。焦るな、処理能力の大半を食われてるんだ……時間がかかる……もう、少し……)
  十数合。数十合。繰り返される邂逅と別離。その果てに、遂に斬撃が光弾の速度を上回った。光の編み目を抜け、目前に迫る剣先。瞬間―――

―――Analysis completion[解析完了]

(間に、合った!)
  脳内で響いた電子音に、クロノは魔法を起動させた。
「ブレイク・インパルス!!」
  床に付いた掌から、振動エネルギーへと変換された魔力が直接叩き込まれる。青白い、炎のような光が吹き上がった。
  破砕音と共に床一面に亀裂が走り、クロノと影、二人の身体を飲み込んでガラガラと崩れ落ちていく。
  これで、終わりだと。クロノは飛行魔法を起動した。魔法の使えない相手は、もはやそのまま落下して行くしかない。もちろん受け身は取るだろうが、後は上からの射撃魔法で決着は付くだろう。
  空中で身を起こしたクロノの足に、シャランと。何かが、巻き付いた。
  そのことに疑問を抱くよりも速く、引きずられるようにクロノの身が落下していく。
「な……!?」
  何が起こっているのかも分からず、彼は足下に目を向けた。影の伸ばした左手から、足に掛けて真っ直ぐ、見えない何かが夜露に濡れたように細く輝いていた。
(糸!?)
  一体―――この相手は、何度彼の確信を覆せば気が済むのか。
  落下していく彼に向けて、一点の曇り無く剣が突き出される。
「ッ……ぁあ!!」
  クロノもまた、未だ存在していた光弾に制御を繋ぎ、槍のごとき一撃を繰り出す。
  再度、二条の光が交わる、その寸前。
  クンと、影の手首が廻った。奔る光弾の軌跡と丁度平行になるように、九十度だけ、刃が傾けられる。たったそれだけの動作で。剣は光弾の進路からその身を逃れ、

―――貫!

 二つは交わる事無くすれ違った。
「あ……」
  彼の持つ杖へ迫る刺突。その一撃により杖は弾かれ、彼は空中でバランスを崩し、戦いは敗北として終わりを告げるだろう。もはやそれを防ぐ手だてはない。何も。……本当に、何も? 何か―――
(何かあるだろう!!)
  これまでの経験、培ってきた修練、人生の回想、あらゆる記憶を手繰り寄せ、見えない道を模索する。それでも、無い。見付からない。なら、自分がこれまでにやってこなかった事は何だ!? その答えを、
「S2U、スタンバイ!」
  クロノは叫んだ。負ける事の出来ない戦いの最中において、それはもっとも縁遠い行動。
  クロノの手の内で、S2Uが黒塗りのタロットカードへと姿を変え、剣の目標から消失した。
「え?」
  惚けたような影の声。何もない虚空へ伸びる刃。
  返ってくるはずの手応えを失い、その身体が僅かに流れる。クロノはその襟を掴んで引き倒し、二人は折り重なるようにして地面へと落下した。
「がっ!」
「あうッ!」
  衝撃に呻き、絡まって転がる二つの身体。引きつる痛みをどうにか堪え、クロノは相手の身体に馬乗りになった。すぐさまS2Uをデバイスモードへと戻し、影の首に突きつけ―――ピタリと、止まる。
  影の持つ剣もまた、まったく同時にクロノの脇腹へと添えられ、冷たい感触を伝えていた。
  時が止まったように、硬直する二人。
  ゼィゼィと、お互いの荒い息だけが闇に染みこむ。
  やがて幾ばくかの時が過ぎ……。
  取って置きのイタズラを披露するように、雲に覆われていた月が、顔を覗かせた。
「……美由希、さん?」
「く……クロノくん?」
  月明かりに照らされて現れたその顔に、二人は呆然と、裏返った声を上げた。
「な……えっと……こんな所で、一体何をしてるんですか?」
「それはこっちのセリフだよ。わたしは、ちょっと友達の手伝いで来てただけで……」
  二人ともあまりの事態に頭が停止しているのだろう。そのままの状態で、会話を続ける。唯一、杖と刀握った腕だけが、力を抜かれてだらりと下げられる。
「じゃあ、何でいきなり襲ってきたんです」
「それもこっちのセリフッ。クロノ君がいきなり杖を構えて殺気を向けてきたからじゃない」
「いや、僕も美由希さんの殺気に反応して……って、あ。なるほど……」
  部屋に入ってきたあの時、彼女の下げた刀を見た瞬間、自分は警戒心を走らせた。もしかしたらその時同時に、自分でも気付かないうちに殺気を放っていたのかもしれない。そしておそらく、彼女も同様に。
「あ〜……もしかして、わたし達まったく同時に同じ事、やっちゃった……?」
「ええ……多分」
「あちゃ〜……」
  額を抑え、美由希が呻く。自分の行動を心底後悔しているようで、「何であたしってこうドジかなぁ……」と落ち込んだように呟いていた。まぁ正直、クロノもまったく同じ気分である。
「あっ」
  ふと、何かに気付いたように美由希が声を上げた。
「血が出てる……」
「え? ああ……刺突を避けたときのですね」
  なんでもないという風に、クロノは返した。実際大した傷ではないし、血ももう止まり掛けている。
  だと言うのに、彼女は「ゴメンね……」と静かに呟き、左手でそっと傷を撫でてきた。
  その行為になんだかよく分からない感覚を覚え、動悸が速くなる。と言うか、今気付いたのだが、
(この状態……なんか、割とやばくないか……?)
  うん、やばい。割とというかかなりやばい。退こう。身体を退けよう。丁度そう思ったところで、
「みみ、美由希さーーーん!! だ、大丈夫ですかぁぁあ!? 何かもの凄い音が―――
  ドタドタとやたら騒々しい感じで、バンッ、と勢いよく扉が開けられた。
―――しま、した……けど……」
  やたらと尻すぼみな感じでセリフを途切れさせ、その人物―――赤と白を基調とした妙な服を着込んだ女性だ―――は、ポカーンと目を見開いた。
  改めて、クロノは今の状況を確認する。
  自分は倒れた美由希の上に覆い被さり、その彼女はまるで何か誘うように、彼の頬に手を当てているわけで……。まぁ、その。いわゆるアレな感じだった。
「し……失礼しましたぁ……」
「いや、ちょっ、これは……!」
「まって那美さん、誤解だからぁぁぁああ!!」
  引きつった愛想笑いを浮かべて扉を閉めようとする彼女に、二人は光の速さで待ったをかけた。

「はぁ……ええと……取りあえず、そう言う事してたんじゃないってのは、分かりました……」
  約十分間にも及ぶクロノと美由希二人がかりの壮絶な状況説明の末、ようやく那美と呼ばれた女性は頷いた。
  何故だか正座して脅えたように縮こまってたりしていたが、それはまぁどうでも良い。
「うん、そう……。クロノ君は、単なるなのはの友達なんですから……」
「理解してくれたようで、何よりです……」
  ゼーゼーと戦闘を終えたとき以上に息を荒げつつ、二人は安堵する。
「それで……。結局あなたは何をしにこんな所に来たんですか? 美由希さんは、あなたの手伝いだと言っていましたが」
「え? いや、それは……お仕事と言いますか……」
「こんな時間に、廃ビルで?」
  表情をきつく引き締め、詰問を続ける。
「えっと、その、あの……」
  すると、那美は困ったようにオロオロと首を巡らせ、救いを求める様に美由希へと目を向けた。
「那美さん、言っても大丈夫だと思うよ。クロノ君、格好を見ても分かるとおりしっかりと普通じゃないから。理解してくれると思う」
「ああ、確かに変な格好してますよねぇ」
  妙な民族衣装に身を包んでたり、二本も剣をぶら下げてる女性達に言われたくはない。
  まぁ、これ以上話しをややこしくしても仕方がない。ここは大人の対応としてぐっと堪え、クロノは那美の説明をまった。
「その、ですね……。お仕事というのは、簡単に言うと……幽霊退治、でして……」
「は?」
  あんまりと言えばあんまりな説明に、クロノは露骨に眉をしかめた。
「美由希さぁん! 全然理解を示している顔じゃありませんよぉおッ」
  ちょっぴり涙目になって縋り付く那美を、まぁまぁとなだめつつ美由希はクロノに視線を向けた。
「クロノ君の世界でも、幽霊って実証されてないの? すっごく科学とか発達してるんでしょ」
「してませんよそんなもの。そん事言ってるのは、怪しい宗教家とかオカルト信者、もしくは訪問販売の詐欺師ぐらいです」
  技術としてしっかり確立されている魔法と違い、幽霊などと言う存在はクロノの世界でも存在しない全くの迷信として扱われている。むしろ、技術が進めば進むほど、そんな物が居るわけ無いと談じられ続けているのだ。
「でも、わたし見たことあるよ? 幽霊」
「……本当ですか?」
  とことん疑わしげに、クロノは言葉を返した。
「居るんです! 私たち神咲一族は、四百年も前から魔と呼ばれるそれらを斬ってきたん―――もが!?」
  不意に感じた違和感に反応し、クロノは那美の口を覆った。突然の行動に驚いた美由希が、素っ頓狂な声で彼の名前を叫んでいたが、構っては居られない。
  何かが居る。すぐ側で反応している、魔力のような、なにか……
「そこ!」
『Struggle Bind』
  部屋の外の廊下に向け、クロノはS2Uを突きつけ、魔法を発動させた。と、
「きゃうぅううんん!!」
  なにやら実に愛らしい悲鳴が響き渡った。
  その何かは、身体に巻き付いた光の鎖をどうにか仕様と藻掻き、ゴロゴロと廊下から部屋の中へと転がり込んでくる。
「く、久遠!?」
「へ?」
  それを見た瞬間、那美がぷはっと手の平から逃れて上げて叫んだ。立ち上がり、慌ててその存在に駆け寄る。よく見れば、それは愛らしい黄金色の毛並みを持つ、小さな子狐だった。
「く、クロノ君、それ那美さんのペット……ていうか、家族だから!!」
「え、そ、そうなんですか?」
  美由希の言葉に、クロノもまた慌てて子狐に駆け寄る。
「久遠! くおんー!!」
「ち、ちょっとまってください、今解除を……」
  藻掻き続ける狐の前にしゃがみ込み、S2Uをかざす。解けた、と思った瞬間―――
「ぎゃうぅううううう!!」
  クワッと牙をむいて久遠は飛びかかり、クロノの鼻にがぶりと噛みついた。

―――ぎ・い・やぁぁぁああああああ!!!
遠く。夜空の彼方まで、その悲鳴は響き渡った。

 

                                      ―――FIN